くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編62編6節
私の魂よ、ただ神に向かって沈黙せよ。
私の希望は神から来る。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テトスへの手紙2章13節
私たちは、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望んでいます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
クリスマスが近づきつつある今日の一日が、皆さんにとって素敵な時となりますように。お祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するキーワードは「希望」でした。先行き見えぬ将来に必ず良いことが神によって与えられる。そのことを私たちは「希望」と呼んで、神のなさることを待望します。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
私たちはどんなに希望を抱いていても、その希望は口にし、何らかの表現をしないと相手に伝わらないということがしばしばあります。日本では「以心伝心」という言葉があるように、それをいちいち言葉にしなくても通じ合うことの大切さ、空気を読むことの重要性が言われることがありますが、欧米世界では言葉を通して相手に意思を伝えることによってしか、伝達できないという文化がしっかりと根付いています。だからこそ希望は私たちの明確な意志として表現されるのだと思います。
しかし、今日の旧約聖書にある詩編の一片は、「沈黙せよ!」とうたわれています。あえて言葉にすることなく、ただ神の御前にあって黙しなさいと詩人は告げました。このことは私たちに大切なメッセージを与えています。あえて言葉にしなくても、私たちの心のうちをすべてご存知である神が私たちとともにおられる。その言葉のひとつひとつに秘められた私たちの本心をすべてご存知だからこそ、神は私たちの将来に光を与えてくださるというのです。どんなに美辞麗句を立て並べたとしても、神にはそんなものは関係ありません。ただただ神の御前に沈黙して、その顔を向き合わせたときに、神は私たちに最高の「希望」をお与えくださるのです。たとえそれが私たちの願いと異なったとしてもです。
ただ黙しつつ、救い主イエスが来られるのを静かに待つのです。クリスマスが近づきゆくというのは、日本では大変慌ただしい師走のなかにあっても、静かに心を鎮まらせながら、救い主イエスが一歩、一歩足音と立ててやって来られるのを、その音を確かめながらじっくりと待つひと時を、ぜひ私たちの生活のなかで一分、一秒でもいいからつくりたい。そんなイメージとともに、希望という言葉に対する私の想いを神につくっていただきたいと思ったのでした。
神の御前に黙しつつ、希望に生きる幸い。今日の一日もまたそのようなところに喜べる時となりますように。
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