18/08/2025

2025.8.18(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ12章4節
もろもろの民にその業を知らせ
その名が崇められていることを告げよ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書28章19~20節
あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さんおはようございます。
昨日はそれぞれの教会や集会で、主の日の礼拝を楽しまれたことと思います。私も朝と夜の礼拝、そして午後には代務牧師を務めている教会での礼拝がありました。3回の礼拝はこの酷暑のなかでもありますからなかなかハードなのですが、聖書の言葉から神の語る幸いを告げることのできる喜びはやはり格別なのです。昨日は仙台にあるキリスト教主義学校の生徒さんたちも何名かいらしてくださいました。夏休みの宿題のための来会ですが、年に一回でも一緒に礼拝できることは本当にありがたく、嬉しいものです。去年の夏休みにも来てくださった方が(近所だからでしょうか)今年も来てくださいました。どうぞ素敵な夏休みの終わりを迎えてほしいと思います。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、いずれも「神のみわざを告げることへの幸い」を語っている言葉であると私は受け止めました。どうして聖書の言葉を伝えるのか、礼拝で聖書の言葉が語られるのだろうか。もちろん、そこには聖書の学びも含まれていることは間違いありません。しかし、学びは私たちの幸いのためにあるということを、少なくとも語る側が第一に据えていない限り、学びは単なる教養を得るということだけに終わってしまうでしょう。
 
教養を通して、私たちは神がどのような方であるかを知ることができますし、その神が私たちにとって何が幸せへの道なのかということのために、働いていてくださっている。この「みわざ」をひとりでも多くの方々に知ってもらいたいとの願いで礼拝が行われ、聖書の学びや祈りの集会が行われる。これこそ教会の大切な務めなのだと思わされます。
 
私自身、この基本に立ち返って、今週も神のみわざを喜びを携えながら伝えていきたい。そんなことを想わされました。大切な人に神を伝える喜びが、主とともに、皆さんとともにありますように。お祈りします。

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