15/08/2025

2025.8.15(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編63編5節
命のあるかぎり、あなたをたたえ
その名によって、手を高く上げよう。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録3章9節
民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さんおはようございます。
今日はアジア・太平洋戦争が終結して80年を迎えました。この特別な節目の日に何を想うのか。そんなことを目覚めの時から思い巡らしていました。私は戦後30年余り経ってから生まれた人間ですし、戦争体験をしたことがありません。ただ幼い頃は戦争を実際に経験した方々が周りにまだたくさんおられました。あんな戦争はまっぴらごめんだとどの方もが口にされていたことを思い出しますし、人々の痛みと悲しみというものは、決して風化させてはならないのだということを強く感じさせられます。
 
今日の聖書の言葉に共通する話題は「神を賛美する」というものでした。私たちは賛美というものをどのようにとらえ、また自分自身のなかで無くてならないものとして受け止めているのだろうか。そんなことを想います。今日の新約聖書の言葉は、長い間足が不自由だったひとりの男が、使徒たちによって癒された後の行動について記されたものです。自分の不自由にともなう苦痛から解放されたときに、彼は神殿で神を賛美したと聖書はその時の様子をつづっています。神が決して自分のことを見捨ててなんかはいなかった。それを心から実感した彼は、その神をほめたたえたのでした。
 
私は、戦争の最中にあって神を崇拝するというのは、決してたやすいことではなかっただろうと思うのです。勇ましい戦況が景気よく叫ばれれば「神風が吹いた」と喜んでしまうのが私たち人間の偽らざる姿であるかもしれません。しかし、本当に苦しい時に「そこに神はおられるのか」という疑問が私たちを襲い、またつきまとうというのも私たちの心中にはよくあることなのだと思わされます。
 
しかし、そのような思いこそ、私たち人間の都合に合わせた神のシルエットなのかもしれません。実は神は私たち人間の世界が良くとも悪くとも、何ら変わることなくご自分の民を忍耐をもって見つめておられる。そして、どんな時にも私たちがあらゆる出来事に振り回されるかのように一喜一憂してしまう姿に、「本当の平安とは何か」ということを気づかせるために働いてくださっている。私たちの都合によらず、神はただご自分の良いものを私たちに与え続けているというのが、聖書全体を通して伝えようとしている神の御姿なのでしょう。
 
私たちは、いかなる時にも私たちの世界を、そして私たち個々人を見守ってくださっていることが分かった時に、賛美が本当の意味での私にとっての生きる力となることに気付かされていくのでしょう。賛美をするならば、そのような思いが根底にあっての賛美でありたいと心から願わされたのです。
 
無用な戦争が起きないために、起こさないために、賛美の歌を両手を挙げて神に向けて歌う一日でありますようにと祈ります。私たちの世界に今日も、神の平和が宿りますように。お祈りします。

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