18/03/2025

2025.3.18(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エレミヤ書16章19節
主よ、わが力、わが砦
苦難の日のわが逃げ場よ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テモテへの手紙二1章12節
私は自分が信じてきた方を知っており、私に委ねられたものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
四旬節12日目を迎えました。今日も救い主イエスの負われた犠牲を心に刻みつつ、与えられた一日を過ごすことができますようにと祈りつつ、ローズンゲンに示された御言葉に耳と心を傾けたいと思います。
 
今日の新約聖書のことばであるテモテへの手紙の一節は、手紙の書き手であるパウロが愛する若い同労者であるテモテに対して示した励ましが込められています。ときに、イエスを救い主として伝えるということは決して楽ではありませんでした。常にその活動を阻み、迫害する人たちの存在があったからです。そのようななかで救い主を伝えるというのは、実に戦々恐々な出来事だったに違いないのです。
 
私たちは今、この日本においては「信教の自由」というものが保証されているなかで、福音を伝えることが許されています。そういう意味で言えば、それはとても幸せなことなのだと思います。今、某宗教団体が信教の自由という言葉を盾に、自分たちの行ってきたことを棚に上げて、自分たちは宗教弾圧を受けているとさかんにアピールしているのを耳にします。宗教弾圧と聞けば実に穏やかではありません。ただ、真実を隠蔽してそのような声を張り上げて人々の同情を買うおうとする姿は実に往生際の悪さというものを感じるのです。
 
私は、今日のパウロの言葉からぜひいただきたいと思ったメッセージは、そのような反対が迫害というものが、今後私たちにも及びかねない可能性がゼロではない世界のなかで、私たちはいったいどのような態度を取るべきなのかということについてです。もちろん、理不尽なことに対しては戦い続ける必要があると私は思います。しかし忘れていけないことは、それが自己保身のためになされるのでははく、イエスがご自分の命を投げうっても貫き通された愛が土台になければ、前述の某宗教団体と何も変わりはないのだろうと思わされたのです。
 
テモテもまた、周囲の反応ゆえに臆病になっていました。しかし、そんなテモテをパウロは励ましつつ、キリストの愛が私たちを必ず守られるのだからということをテモテに思い起こさせようとしたのでした。パウロが言われた委ねられたものとは、まさにキリストの愛に他ならないのだと私は受け止めたいのです。この愛が愛として世界を必ず平和へと導いてくださることを胸に、今日の一日を歩むことができますように。皆さんの主にある平安を心からお祈りします。

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