くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
歴代誌下14章10節
我々の神、主よ、我々を助けてください。我々はあなたを頼りとしているからです。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙10章23節
約束してくださったのは真実な方なのですから、告白した希望を揺るぎなくしっかり保ちましょう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
******
皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句のうち、新約聖書・ヘブライ人への手紙10章の言葉に、今日は注目したいと思いました。
私たちが揺るぎなく希望を持ち続けることができるとしたら、それは何を根拠とするかについて、今日の聖句である23節には「救いの希望を与えてくださった方の『真実』によるもの」だと、私たちに明らかにしています。ここで語られているのは、救い主であるイエス・キリストご本人であるのですが、そのイエスを「真実な方」であると、この手紙の筆者は綴っているのです。
この「真実な」という言葉、新約聖書の原文であるギリシア語では、「ピスティス」という単語の形容詞型である「ピストゥス」という言葉が用いられています。ピスティスとは、日本語で「信仰」としばしば用いられているものなのです。
信仰といえば、私たちが神仏に向かう行為ばかりが重視されがちなのですが、決してそういうことでもありません。ギリシア語のピスティスが語ろうとしているのは、私たちの神仏に向かう行為の「前提」となることを指した言葉であることがわかります。
私たちが希望をもって生きるというというのは、私たちの決断に基づく行為であることに違いありません。しかし、その前提になる、希望を抱くにふさわしい生き方をされた方がおられる。その方そのものが「真実(信仰)」の源であるということを、私たちは「信仰」という言葉を考え、とらえる上で絶対不可欠なものとなることを、とらえ続けたいのです。
どんなに私たちが熱心に、いわゆる「信仰的な行為」を営んだとしても、その元となる方の「真実(ピスティス)」に基づいていなければ、その行為は人間によるただのアピールに過ぎないのだと、私は自戒しつつも思わされます。イエスの言葉と行いから、私たちはいかにしてこの御方の「真実」に基づいた本質というものを、聖霊の助けによって私たちひとりひとりの心身に浸みこませていただけるか。目に見える行為ばかりに価値を見いだすのではなく、あくまで私たちを満たしてくださるイエスの真実というものを、生きる希望としていきたいのです。
かつて、神の民たちが神である「主(ヤハウェ)」に向かって、「あなたを頼りとしている」という告白をしました。頼りとするというのは、頼りにされる方がまさに「真実」であるからこそ、民たちは頼りとすることができました。それが決して、口先だけのものではなく、本当にそうしたいから、偽りのない神に向かって自分自身をゆだね、頼ることができた。それが、今日の旧約聖書の言葉が指し示しているメッセージであると私は受け取りたいのです。
今日もそのようなキリストの真実によって、私たちが生きることができますように。神による守りと祝福を、心からお祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿