くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エゼキエル書11章19~20節
私は彼らの肉体から石の心を取り除き、肉の心を与える。それは彼らが私の掟に従って歩み、私の法を守り行うためである。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書17章20~21節
神の国はいつ来るのか。神の国はあなたがたの中にある。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
******
皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示された聖書の言葉は、私たちが「神とともに歩む」ことができるために、神が備えてくださる「心」について、私たち一人ひとりに黙想を与えるものだと私は受け止めました。
今日の旧約聖書であるエゼキエル書においては、神が私たちに「心」を与えるのだということが、預言者エゼキエルによって語られています。どのような心でしょうか。「肉の心」と記されています。そして、この肉の心は「石の心」と対比するようなかたちで語られていることが分かります。
石の心とは、カチコチに凝り固まった状態のことを指すわけです。私たちの固定概念に縛られた、それこそ頑固な心のことを指します。柔軟さがないので、あらゆることに対応できない、自分自身の信念だけを押し通そうとする状態のことです。そのような状態は、一見すると「自信がある」ように見えます。しかし、その自信はときにはもろく、簡単に崩れてしまうものなのかもしれません。石の心とは、頑丈なように見えて、実はそうではない一面があるというなのでしょう。
私たちのうちにあるそのような石の心を、神は「肉の心」を与えることによって変革してくださるというのです。肉とは、血液や栄養が十分に流れて、筋肉がつねに瑞々しく、しなやかな状態のことを指します。十分に鍛えられた筋肉はしなやかに動きますから、あらゆる衝撃に対応することができるというのです。実にフレキシブルな対応をもって、日々の暮らしに向き合うことができる。それが「肉の心」なのです。
そして、肉の心は神が与えてくださる法や掟というものを守ることができるために、欠かせないものなのだということを、今日の言葉から知ることができます。なにも文字面の律法を守るという意味ではありません。神がご自分の法や掟を通して示されるご自身の「価値観」というものを柔軟に受け入れ、その本質によって生きることができるというのです。
この柔軟さこそ、このハードな世の中においても、私たちのただ中に「神の国」があふれていることを実感できるための、大きな助けになっていくのだと私は今日のふたつの聖句を通して受け止めたいと思いました。神が与えてくださるしなやかな心をもって、今日も主にあって柔軟な生き方をすることができますように。お祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿