くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ホセア書3章5節
イスラエルの子らは帰って来て、彼らの神である主と彼らの王ダビデを求め、終わりの日に、主とその恵みに畏れをもって近づく。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書7章8節
誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するのは「求める」という言葉です。求める相手はイスラエルの神であり、見えるかたちでの支配者であるダビデ、のちに救い主となられたイエスに対してです。求めるとはどういうことかについて、黙想したいと思いました。
求めるというと、何かの要求をもってその相手に自分の希望を願い出ることをイメージさせますが、旧約聖書の世界において求めるとは、単に自分の思い通りの欲求や要求を指すというよりは、精神的な関係性に基づいて求めるという行為がなされたと言われています。
今日のホセア書にある「求める」の原語は、バーカーシュ(בָּקַשׁ)というヘブライ語が用いられています。この言葉には、神との関係を追求すること、神がともにおられるのを希求すること、神の意志に自分を合わせることなどが意味として含まれています。つまり、求めるという行為は、神への徹底的な依存という、私たちの心の姿勢を表していると言われています。
つまり、イエスが民衆に対して「求める者は受ける」と語られたのは、神への心からの依存によって、神の御心に従って生きようとする私たちの思いが、そもそも神が私たちに向けられておられる喜びというものを受け取ることができる根拠となるという意味でなのです。
今日のホセア書にもあるように、私たちが神に近づいたから神が私たちに恵みを与えてくださるということではないのです。私たちがそうする前に、すでに神はご自分の最大限の恵みというものを私たちに与えようとして待っておられる。大切なのは、私たちの側がそのような神の存在に気付いているかどうかということなのです。
そのために、今日も聖霊様の助けをいただきつつ、聖書の言葉に耳と心を傾けて一日のときを過ごしてまいりたいと願わされました。神の恵みに対して気づき、求めることの幸いを味わい知ることができますように。皆さんの主にある守りと平安をお祈りします。
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