くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エレミヤ書14章21節
御名のために、私たちを退けないでください。
あなたの栄光の座を辱めないでください。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙11章2節
神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けたりなさいませんでした。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
去る木曜日から昨日にかけて、私が所属する日本基督教団の「カルト問題全国連絡会」が開催されました。年に一度行われるこの会議ですが、深刻な社会問題としてのカルト宗教問題が一人でも多くの方々に理解していだだけるよう、取り組まなければならないことを共有することのできた機会となりました。感謝なことです。
そして、今朝はオンラインで「池袋朝祷会」に招かれ、御言葉を取り次ぐ機会をいただきました。そこで聖書の言葉として、今日のローズンゲンに示されたエレミヤ書14章の御言葉から、祈りへの導きの言葉として選びました。
ご自分の民を決して退けない神。預言者エレミヤはそのことを心から信じて、神と人とのあいだに結ばれた契約を思いにとどめつつ、そのことを神に願いました。しかし、その願いは決して、エレミヤによる自己正当化の結果ではありませんでした。自分たちが有様が、いかに神から遠く離されたところにいたかを、自分自身の心に刻むように思った結果のことでした。自分の「正しい」と思いこむ、その思い違いから立ち直ることを肝に銘じつつ、神が私たちを退けないように希ったのでした。
私はこの数日間に起こったことを心のなかで思いめぐらせながら、私たちはいったい誰の正しさによって生きる者とさせられているのだろうかということを、このエレミヤの言葉に照らし合わせながら、自分自身のあり方というものを見つめさせられました。実は神が私たちを退けているのではなく、私たち人間が神を退け、自分の正しさに従って他者を退けているのだと。しかし、私たちは神が私たちを退けないからこそ、私自身の心のなかに潜む「退けようとする心や思い」を直視できるのではないだろうか。そんなことを思わされるときにこそ、自分自身を整えて生きるという生き方に導かれるのだと。
そんな思いとともに、今日という一日を歩んでまいりたいと思います。そして、主の日を迎えようとする私たちが、新しい一週間を迎えるためのよい整えの時となりますように。皆さんの主のある守りと祝福をお祈りします。
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