24/10/2024

2024.10.24(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編36編10節
命の泉はあなたのもとにあり
あなたの光によって、私たちは光を見ます。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書1章4節
それは命であった。この命は人の光であった。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するワードは「光」です。皆さんもご存知のように、聖書において「光」は、もっとも重要な言葉のひとつと言えるでしょう。神が聖書において一番最初に登場する言葉は「光あれ」というものでした。この言葉とともに、天地万物の創造が始まりました。
 
闇を照らす光。その闇は心の闇、実際の暗闇、暗闇を感じさせる世の中の出来事、もろもろあるでしょう。そこに光が投じられるとき、私たちはそのまばゆさゆえに驚き、恐れおののくことがあるかもしれませんが、すべてが明らかにされるその先駆けとして差し込む光によって、私たちは希望や喜びを見い出すきっかけとなるのだと。これが、神の民がその折々において望んできたことでした。
 
今日の旧約聖書のことばである詩編の一節は、その光こそ「命の泉」であると歌っています。喉の渇きをいやし、命を支えるために無くてはならない水の存在。これもまた、天地創造の際に、神の声によって混沌とした世界に整理が付けられて、やがて地面の部分と海の部分に分かれた。つまり、光とは物事を整理し、時には分離や結合をすることによって、それ自体が明らかになることをも意味しているのだと私は思いました。
 
つまり、私たちが生きていく際に必要な「判断と決断」というものは、神が投じてくださる光があってこそ、私たちの判断が豊かにされていき、神の御心に沿った決断をするためのなくてはならない助けになるのだと思うのです。この光がないと、私たちのそのような判断や決断というものが、いつしか独り善がりなものに変容してしまうことによって、その光りかたは屈折してしまうのだと。
 
今日の新約聖書のことばで、人の光としての「言(ことば)」の存在が描かれています。このことばこそ、救い主イエスであると私たちは信仰の言葉として受け取り続けてきたのです。イエスが与えてくださる命の光。この光に支えられつつ、今日の一日も、生きてまいりたいと思います。皆さんの一切に、神の光による喜びと望みがありますように。お祈りします。

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