27/09/2024

2024.9.27(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書65章18節
私が創造するものを
代々とこしえに楽しみ、喜べ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テモテへの手紙一4章4〜5節
神が造られたものはすべて良いものであり、感謝して受けるなら、捨てるべきものは何もありません。神の言葉と執り成しの祈りとによって聖なるものとされるからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
私は昨日の夕方より「日光オリーブの里」で行われている。アシュラム集会(黙想と祈りの会)に参加しています。来週日曜日、月曜日とそれぞれに東京で務めが与えられていますので、その通り道として、日光でこのような機会が与えられたことを、神様に心から感謝するばかりです。
 
ここのところ、比較的忙しい日々を過ごしておりましたので、自然豊かなこの場所で、心を落ち着かせながら、神様の御言葉によって自分を整える機会を得たいと思っていたところでした。ですので、今回のアシュラムへの出席は、神様が私に与えてくださったプレゼントであると受け止めています。ここでたっぷりとリフレッシュの時を過ごしたいと思います。
 
さて、そんな朝にいただいた今日のローズンゲンは、まさに、自然の中で聴くにふさわしい神からのメッセージであると受け止めました。今日の旧約聖書および新約聖書で共通して語られているのは、神による創造の御業についてでした。神はどのような思いでこの森羅万象を、そして私たちをつくられたのか。そんなことに思いを寄せてみたいと思いました。
 
今日の旧約聖書であるイザヤ書において、その終盤部分はあらゆる苦しみから解放された神の民が、改めて知ることとは何かについて描かれています。それはひと言で言えば、喜びと楽しみです。神は喜び、楽しみつつ、私たちを創造してくださいました。それは決して、作家が産みの苦しみの末に作り上げたものとは全く違うことを意味しています。この自然のすべてを喜びながら、楽しみながら創造してくださった神が、今日も私たちをそのように取り扱ってくださるというのです。
 
この神の思いが受け継がれて、今日の新約聖書の言葉にもあるように、若い伝道者であるテモテへとその思いが語られたのでした。もし私たちが、神の創造の御業を感謝をもって受け止めるのであれば、無駄なものなど何ひとつないのだと。大切なのは、それそのものが無駄なものなのか、そうではないのかと言うことを議論する前に、私たちがそのことを通して示されている神からの祝福を、感謝をもって受け止めることができているのかどうか、この一点に尽きるということなのです。
 
私たちの存在を喜んでくださる神が、ご自分の言葉で、また祈りをもって私たち一人ひとりを聖なる者へと導いてくださる。そのことへ感謝の思いを抱けるような今日という一日を、どうか過ごすことができますように。皆さんのそれぞれの生活に、神の喜びが豊かに溢れますように、心からお祈りします。

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