26/05/2024

2024.5.26(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編10編14節
あなたは苦しみと悩みを御覧になり
御手によって救おうと顧みてくださる。
不幸な人はあなたに身を委ね
あなたはみなしごの助け手となられた。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書13章12~13節
イエスはその女を見て呼び寄せ、「女よ、あなたは病から解放された」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を崇めた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
新しい一週間の朝を迎えました。これから始まる七日間の旅路が、そしてその先駆けとしての主の日の礼拝・集会のすべてが大きな祝福のもとにありますように。お祈りします。
 
今日のローズンゲンに示された聖句で、私は旧約聖書・詩編10編にある「あなたはみなしごの助け手となられた」という言葉に注目したいと思いました。あなたとは父なる神のことであり、みなしごとは祈りの詩をささげる者自身のことを指しています。
 
孤独を感じることは、私たちの人生において多少なりともあることです。どんなに素敵な友達に囲まれていたとしても、どんなに恵まれた毎日を過ごしていたとしても、いざひとりになるとなぜか孤独感に襲われてしまう。そんなことはないでしょうか。また痛みや苦しみが続くと、神がおられるならばどうしてこんな苦痛に苛まなければならないのかと。誰にも分かってもらえない痛みゆえに孤独感を思うこともあるでしょう。
 
まるでそんな状況はみなしご、つまり孤児にある状況と何ら変わらないように思うのです。親から捨てられるように周囲から見捨てられたような感覚に、私たちは陥ってしまうのです。誰も私のことなんか分かってくれない。こうして孤独感が増していくばかりなのです。
 
しかし、なおおかかわらず、私たちの神は愚直なまでに私たちにひとつの言葉を通して、希望を与え続けてくださるのです。神を愚直と言うなんてなんて不謹慎なと思われるかもしれません。しかし、神はそうなのです。ひとつの目的のために何でもしてしまう。それが私たちの神なのです。その目的とは、私たち一人ひとりの命を育み、祝福に導くという目的です。
 
確かに孤独を思うことがあるでしょう。孤独から逃れきれない自分自身があることも確かです。しかし、孤独をつくりあげるのは私自身であることも、私たちは決して忘れてはいけない。そんなことを思わされます。今つくりあげている孤独を人のせいにすることもできますし、それが事実であることももちろんあります。しかし、私自身が孤独であるかどうかは、結局のところ、私自身の判断なのだと思います。少なくとも、みなしごである私を見守り、祝福してくださる神がおられるのだということを知る以上は。
 
長い間病で苦しんでいた女性をいやされたイエス。そのイエスによって生きる希望を見い出した女性は、病がただ治ったということ以上に、いつまでも私のことを見守ってくれた神がおられたことに気付かされた。だから女性は神をあがめることができたのでしょう。今日の新約聖書の言葉は、そのことを物語っているような気がしてならないのです。
 
私たちを見守る神がおられる以上、私たちは決して孤独などではない。そのことを胸に、新しい一週間を生きてまいりたいと思います。皆さんの日々にも、そして今日の歩みにも、神が祝福をもってともなってくださいますように。お祈りします。

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