13/05/2024

2024.5.13(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書31章16節
あなたの泣く声を
目の涙を抑えなさい。
あなたの労苦には報いがあるからだ――主の仰せ。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書16章22節
あなたがたにも、今は苦しみがある。しかし、私は再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
私たちの負う苦労に、必ず神は報いを与えてくださり、私たちに喜びを与えられる。私が今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して受け取ったメッセージです。
 
イエスが捕らえられ、十字架につけられた前の晩、イエスは弟子たちに語られました。「あなたがたにも、今は苦しみがある」と。イエスの弟子であるがために、イエスとの別離によって感じる苦しみ、イエスを敵視する者たちが与えようとする苦しみ、彼らのなかで処理し、解決することのできない様々な苦しみ。イエスが弟子たちに対して、「あなたがたにも、今は苦しみがある」と言われたのも、イエスが弟子たちの心中というものを察知し、理解していたからこその言葉であると思うのです。実は、最大の苦しみを今受けようとしていたのは、他ならぬイエス本人であるにもかかわらずです。
 
イエスは、自分が苦しくないということなど、まったくありませんでした。イエスはこの後、血の汗がしたたるほの苦痛に満ちた祈りを神に向けられました。父なる神に苦しみを取り除いてくださいと願い出るほどでした。そのような限界を超えるような苦しみをイエスは負われるだけでなく、弟子たちが負うことになるだろう苦しみをも自分自身のものとして受け入れようとしている。「あなたがたにも、今は苦しみがある」という言葉には、そのようなイエスのありったけの思いが込められているのではないかと思えてならないのです。
 
弟子たちの負う苦しみ、そして私の苦しみをも、やがて消え去る時がやってくる。それは喜びをともなったもの、すべての苦しみが報われるのだよと、イエスは弟子たちに語られました。このイエスの言葉に、弟子たちは一旦はつまづきながらも、復活の喜びに触れ、今や聖霊降臨の喜びに彼らが導かれようとしています。こうやって、弟子たちはあとになって次々と気づかされていくところにこそ、福音の醍醐味というものがあるような気がしてなりません。
 
今日の旧約聖書の言葉は、預言者エレミヤによるものです。エレミヤもまた、祖国を追われ、バビロニア帝国という巨大な政治のもとに、自由を失われた時代を生きたひとりでした。しかし、にもかかわらず、エレミヤや民たちが感じた苦痛は必ず報われ、涙をぬぐい去ってくださる神がおられる。こうしてエレミヤは希望のメッセージを神から受け取り、それを民たちを共有することができたし、その希望が現実のものとなったことは、数十年後の歴史、つまりエルサレムへの帰還が物語っているのです。
 
この希望に生きたい。そして与えられた新しい一日を生きていきたいのです。それが、今日私の心に感じることのできた黙想でした。どうか、皆さんの新しい一ち日も、神様からの守りと平安が豊かにありますように。お祈りします。

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