13/03/2024

2024.3.13(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
創世記18章19節
私がアブラハムを選んだのは、彼がその子らとその後に続く家族の者たちに命じて、彼らが正義と公正を行い、主の道を守るようにするためである。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの信徒への手紙一1章8節
私たちは、律法はふさわしく用いるならば良いものであると知っています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日の新約聖書である、テモテへの手紙の一節。ここには、神がかつてご自分の民たちに与えられた「律法」について触れられています。律法はふさわしく用いるならば良いものであるものなのだと、この手紙の筆者は書きつづっています。
 
ここで言及されている「ふさわしく用いるならば」という言葉に注目しました。なにをもって、手紙の筆者はこのようなことを手紙にしたためたのか。この頃、キリストの宣教者として活動していたのは、使徒パウロでした。パウロは、いわゆるモーセ律法に対しては、キリストが現れて救いの業がなされたことで、すでに律法の役割は終えたことを、他の手紙のなかで強調しています。
 
そのような考え方が、おそらくクリスチャンのあいだで広がっていたなかで、あえて、律法自体は良いものなのだということに触れているのは、とても興味深いことであると私は思います。そこには、神が人々に与えられたものはすべて、基本的に良いものなのだという基本的なことを、筆者は読者に伝えたかったのではないかと、私は思うのです。
 
しかし、神が与えた良いものを、人間である私たちの側が神の願いどおりに運用できなかったために、律法の本質がゆがめられて、おかしなことになってしまった。神が言わんとされている本質がないがしろにされて、外面ばかり強調されることで、律法を通して私たち人間の正義だけが語られるようになってしまった。律法が神の掟というよりは、人間の正義を誇示するためのものになってしまったのです。
 
ですから、私は思うのです。私たちが聖書の言葉に聴くにしても、クリスチャンとしての生活を営むにしても、何事も、神はこの言葉この状況を通して、私たちに何を思われ、願われ、語られようとしているのだろうか。そのことに思いを寄せながら、神が私たちのために与えられた良いものに視点を注ぐ者でありたいと。今日の黙想を通して考えさせられたことです。
 
律法が与えられるはるか昔、神がアブラハムとその子々孫々に対して願われ、そして交わされた契約の目的というものが、本日の旧約聖書の言葉に示されています。神が与えられる正義と公正によって、主の道を主とともに歩くことができるためであると。そのような道を、今日も歩むことができますように。お祈りいたします。

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