19/01/2024

2024.1.19(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
箴言30章8節
貧しくもせず、富ませもせず
私にふさわしい食物で私を養ってください。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙一6章7~8節
私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができません。
食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
私事ですが、日曜日の夜から「急性胃腸炎」になり、悪寒、発熱、嘔吐、胃痛腹痛、下痢といった具合で、数日間休養の時を過ごしておりました。ローズンゲン黙想もしばらく休んでおりましたが、今日からまた再開いたします。体調は良くなりましたが、どうやら妻にうつしてしまい、彼女も体調不良になってしまいました。彼女も回復してきているので、ホッとしております。また今後とも、よろしくお願いいたします。
 
今日の聖書の言葉の「私にふさわしい食物」という言葉に眼がとまりました。貧しくさせることもなく、かと言って富むこともない。ちょうどいい塩梅のふさわしさがあるのだと、知恵者は語ります。そこに「人が人として生きることができる幸い」というものを、私たちは自分自身の思いや姿に照らし合わせて、じっくりと考えていく必要があるのだと思います。
 
清貧という言葉があります。日本でもいっ時流行った言葉であると感じています。ただ、私はこの言葉が誤解されているようにも思えるのです。貧しければそれで良いという意味で用いられてはいないだろうか。特に宗教者に求められている精神のひとつに「私欲を捨てる」というものがあって、キリスト教でも過度な欲望を捨てることがしばしば言われているわけです。
 
しかし、それは「貧しければそれで良い」のではなく、貧しさを推奨しているわけでも無いわけです。どんな状況にあっても、いかに心が豊かにされていくかということを考えるうえで、清貧という言葉が用いられているのではないか。私はそう思うのです。実際に「心が豊か」であることに、貧しさは存在しないわけです。
 
私たちの心を豊かにしてくださる方。それは神その御方であることを、聖書は述べています。神が私たちの心を豊かにしてくださるということを考えるときに、それは私たちの生き方というものにも大きく影響すると私は信じたいのです。経済的に貧困の状態にある、多くの方々がおられることを思います。貧しさが貧しさのままでいいはずなどないのです。だから、私たちはその対極にある「富む」ということにも、神経を注ぐ必要があるのだと思います。過剰な私欲を捨てるというのは、そういうところから来ているのかもしれません。決して貧乏を推奨する言葉ではないということをも含めてです。
 
今日の一日もまた、私たちの心を豊かにしてくださる神がおられることを信じて、歩む者でありますように。お祈りいたします。

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