01/12/2023

2023.12.1(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書9章6節
見よ、私は彼らを精錬し、試す。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書13章13節
最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
10月27日よりお休みをいただいていた「ローズンゲン黙想」を再開いたします。楽しみにしてくださっていた皆さまには、随分お待たせしてしまいました。申し訳ありませんでした。問い合わせの電話やメールもいただきました。この黙想を愛してくださっている方々がたくさんおられることを、改めて実感しました。また本日より、黙想を継続してまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
 
さて、今日の旧約聖書に「精錬」という言葉が登場します。精錬とは、金属を溶かすことで金属のなかに含まれている不純物を取り除くことによって、純粋な金属を取り出す手法のことを言います。その目的は「純粋になる」ことです。
 
神は、私たちを精錬すると語っておられます。つまり、私たちが純粋であるべく、精錬されるというのです。これは一体どういうことなのでしょうか。私たちが純粋になるとは、どのような状態のことを指すのでしょうか。
 
私はこれを「素直さ」という言葉に置き換えることができるのではないかと受け止めました。つまり、純粋とは混じりけのない状態のことを指しますから、私たちはややもすると清廉潔白・品行方正で、完全無欠のような状態のことを指すのではないかと思ってしまうかもしれません。
 
しかしどうでしょう。私たちはどんなに努力しても、100%完璧なさまになるなどということは、絶対にあり得ません。ましてや、自分自身の努力や鍛錬でそのようになることは決してないのです。だからこそ、欠けの多い自分自身の現実が突き付けられて、もがいたり悩んだりするのだと思うのです。
 
その状態こそ、神が私たちを精錬されることの意味だと思うのです。神と向き合い、神の言葉をいただいて黙想する時に、私たちは神によって自分自身の不純物が浮き出てくるのを感じることがあるでしょう。しかし、私たちが希望を抱けるのは、私たちのうちにある不純物を素直に向き合うことができる、ということです。やがて、神がその不純物を精錬によって取り除いてくださる時が来ることを、私たちは望むことができるからこそ、自分自身のありようというものに、素直に向き合うことができるのかもしれません。
 
今日の新約聖書は、最後まで忍耐することの幸いについて語られています。イエスによる言葉ですが、忍耐というものは、否が応でも、目をそむけたくなるような自分自身の現実に付き合わなければならないことを意味します。そんな時ほど苦しいことはない。しかし、神は必ず私を精錬してくださる。そのことを希望に置きつつ、今日も希望ある忍耐の時を過ごしてまいりたい。そのように思わされました。
 
来たる日曜からは、私たちは待望の時期を過ごすことになります。必ず私たちを精錬されるときが来る。そのために救い主イエスが来られるのだと。そんな思いをもって、備えの一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一日に、主なる神の祝福をお祈りいたします。

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