06/10/2023

2023.10.6(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書7章23節
私の声に聞き従え。そうすれば、私はあなたがたの神となり、あなたがたは私の民となる。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書8章31節
イエスは言われた。「私の言葉にとどまるならば、あなたがたは本当に私の弟子である。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
 
昨日も黙想をお届けすることができず、申し訳ありませんでした。昨日は予期せぬアクシデントが生じ、当初の予定を大幅に変更して一日を過ごしていました。幸い迅速に対応できたため、大事にいたらず済みました。このアクシデントで、いろいろなことを考えさせた、そんな一日でした。昨日は夜9時前には床に就き、ゆっくりと休みました。朝6時に起きましたので9時間は休んだことになります。さわやかな秋空とともに朝を迎えることができて、改めて命が与えられていることに感謝しました。
 
さて、今日の聖書の旧約聖書の言葉である、エレミヤ書7章の言葉から感じさせられることがありました。「私の声に従え」という神の御声があります。私たちは神の御声を、聖書の言葉と聖霊の助けから聴き取ろうとします。そして聴いたことを黙想してそれを自分自身の生き方とすることによって、神の声に従うという聖書の言葉を受け入れようとします。
 
ここまでは分かるのです。「そうすれば」神御自身が私たちの神となってくださり、私たちは神の民となることを約束しています。問題はここからです。神が私たちの神となり、私たちが神の民となるというのは、「神の御声に従う」ということが条件にあって、その条件をクリアすれば、私はこうするよと神が述べているということを意味する言葉なのでしょうか。つまり、神はここで私たちにあなたがたの神となり、あなたがたを民とするための条件・入会資格のようなものを提示しているのでしょうか。
 
私はそうでないと思います。なぜならば、神はご自分の契約というものを、どんなに民の側が契約破棄されてもおかしくないようなことを繰り返しても、神の側はその契約を破棄されなかった。それどころか、究極の救い主を御子イエスを遣わすほどに、私たちを愛される方だからです。ひとりも滅びずに永遠のいのちを得ることに、神は多大な関心をお持ちだからです。それくらい、神は人間をこよなく愛しておられる。
 
だからこそ、神は条件や資格をもって私たち人間につながりを迫っているのではないと私は理解したいのです。そんなことをしなくても、すでに神は私たちとつながっていてくださっているのです。では、この聖書の言葉をどのように読み、受け取れば良いのでしょうか。私はこう受け取りたいと思いました。
 
神の御声に従って生きるならば、すでに、神が私たちの神であり、神が私たちをご自分の民としてくださっていることを知り、理解できるようになるのです。
 
神の御声に従うことは、決して条件や資格ではなく、私たちが神の本質を知り、理解するためのプロセスなのだと。神の愛に満ちあふれたその姿を、私たちは聴従というかたちをとおして、すでにつながれていることの幸いを味わう。これこそ、キリストの弟子として生きるという、今日のヨハネ福音書に相通じるテーマなのだと、私は受け取りました。
 
神はすでに私たちとつながっていてくださる。その一点に希望を置いて、今日も神の御声に聴き、そしてそれを自分自身の生き方とすることができますように。皆さんの主にある平安と祝福をお祈りいたします。

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