02/09/2023

2023.9.2(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記23章1節
あなたは根も葉もない噂を流してはならない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙4章25節
ですから、偽りを捨て、一人一人が隣人に真実を語りなさい。私たちは互いに体の部分だからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
夏休みも終わり、今日から再始動です。引き続き「ローズンゲン」を通して、御言葉を中心とした皆さんとの交わりができることを楽しみにしたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
さて、今日の聖句ですが、旧約聖書と新約聖書を貫くテーマは「偽ること」についてであると、私は受け止めました。そして、旧約聖書では、いわゆるモーセ律法と呼ばれているものの一節として、「根も葉もない噂を流してはならない」という言葉が選ばれています。
 
シャーデンフロイデ(Schadenfreude)というドイツ語があります。人が不幸な目に遭うのを見聞きすると、なぜか喜んでしまうような状態のことを指します。「人の不幸は蜜の味」なんていう日本語が、それにあたると思います。ドイツでも日本でも、こういう人間の習性というものは同じなのだなと思わされます。
 
そして、そのようなシャーデンフロイデを助長するものとして、人の口から発する「噂」があるのだと、改めて思わされました。芸能ニュースなどが典型的な例と言えるのかもしれません。人の不幸に関心を寄せ、なぜか喜んでしまう。だから、そのようななかで繰り広げられる噂はとどまることを知らないし、なぜかありもしないようなことなどが世の中に「フェイクニュース」として広まっていく。そこにあるのは、そこに喜んで飛びついてしまう人間の関心なのだと。
 
悪い噂は、一時は人の興味関心を惹き、喜ばせるかもしれません。しかし、そこに起きるのは、平和ではありません。むしろ分裂、断絶によって起こる人の傷つけ合いなのだと思えてなりません。根も葉もないという言葉が真実となっていく姿を見るのは堪えないし、そんなことがあってはならないのです。まさに「神の愛」に欠けた行為なのだと、私は今日の聖句を通して想わされました。
 
では、私たちの語るべき真実とはいったい何か。それは、神の愛が自分自身のゆがんだ心でねじ曲げられることなく、神の愛として隣人へ伝えられ、分かち合われていくことなのだと。少なくとも相手を貶めるための材料として、自分のなかに起きている嫉妬心や鬱憤を晴らしたいという気持ちから、噂のようなもの、ひいてはフェイクニュースを流すようであるならば、世の中は決して平和にはならないのです。
 
そのような真実を、今日も語りたい。これが今日の黙想から得た結論です。明日迎える主の日に向けての備えが、神の愛に支えられ、それに基づいた言葉をつむぐ者でありたいと願います。皆さんの一日にも、神の愛がともに、豊かにあることを心からお祈りいたします。
 

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