01/08/2023

2023.8.1(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編73編28節
私には、神に近くあることこそが幸い。
私は主なる神を逃れ場とし
あなたの業をことごとく語り伝えよう。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録3章8節
足が癒された男は、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、ペトロ、そしてヨハネと一緒に境内に入って行った。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日から8月が始まりました。多くの教会では夏の諸行事のなかにあると思いますが、コロナ禍明けゆえに、以前のようにフル稼働というわけにはいかないかもしれません。それでも、このひと月のあいだ、猛暑にあっても、神が多くの祝福を御業を通してさやかに示してくださる。そんなことを心から期待しながら、日々を過ごしてまいりたいと思います。私事で言えば、8月はゆっくりと休むことができそうです。秋に向けて英気を養う一か月間でありたいと、心から願います。
 
今日の聖書の言葉を通して、私は特に新約聖書・使徒言行録3章の言葉に注目しました。いわゆる「私には金銀はない」と言われる、使徒であるペトロとヨハネによって、足の不自由な男の障害が癒されたシーンです。物乞いをしていた男に金銀はないが、イエス・キリストのお名前によって神の御業が、この男に示されました。その日暮らしの生活をするよりも、喜び踊って神を賛美する生活のほうが、この男にとっては比べ物にならないほど豊かで、大きなものであったことが、今日の聖書の言葉から読み取ることができます。喜び踊りつつ、神殿での礼拝に出かけることができました。これまでは神殿の門をくぐることすらできなかったのです。
 
その日を生きるのに必要なのは、もちろん衣食住であったり、それを備えるための経済的な準備や身体的な健康であることは間違いありません。しかし、どんなに裕福な生活を営んでいたとしても、究極の安心とはいったい何かについて、今日の聖書の言葉は実に考えさせるものなのではないかと私は思います。それは「信頼関係」であり、ことに神と私とのあいだにおける信頼関係こそ、私自身を安心へと導き、その日を生きるための無くてはならない礎(いしずえ)となることを、今日の聖書の言葉は伝えているような気がしてならないのです。
 
それこそが、今日の旧約聖書である詩編の「神が私の近くにいてくださることへの幸い」という信仰告白へと結び合わされていくのだと、私は受け止めました。逃れ場(これは別な聖書では信頼と訳されたりもしています)にいるがゆえの安心。この安心が神を礼拝し、神がともにおられるがゆえにあふれ出る喜びへとつながっていくのだと。この安心を神からいただきたい。そのことを今日も一日を生きるための望みにしたい。そのように願わされました。
 
皆さんにとっての8月という一か月間も、神が与えてくださる平安が、安心と平和を願う私たちの心へとつながり、そこから生み出される喜びをともに味わうことができますように。心からお祈りいたします。

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