28/07/2023

2023.7.28(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編97編10節
主を愛する者よ、悪を憎め。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章24節
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
昨日も暑い一日でした。昨日は、所用で宮城県南部の福島県境にほど近いところにある、あるキリスト教団体の施設に行ってまいりました。あることで全国的に有名なことを行っている団体ですが、実際施設を訪れて、スタッフの方々の紳士さに触れる良い機会でした。外見で判断するのと、実際に目で手で触れて見るのとでは結構違うことを思わされるひと時でした。
 
さて、本日くじによって選ばれた聖書の言葉についてですが、特に新約聖書であるマタイによる福音書6章24節は、イエスによって語られた、山上の説教の一節です。神と富とに仕えることができない。私は、この聖書の言葉を「二者択一的」に読むのか、それとも「均衡的」に読むのかによって、随分違う印象を受けるのではないか。そのように感じさせられました。
 
この聖句だけを切り取って取り上げると、神を取る、富を取る、どっち?という印象すら起きてくると私は思うのです。人から富を巻き上げることを目的とする、旧統一協会のような団体は、聖書の言葉を巧みに「利用」します。そして、神を取るならば富を捨てよ的なアプローチを、信仰の絶対条件のように提示し、脅迫することによって、人を不安に陥れるのです。
 
しかし、この聖書の言葉はそういうことをイエスが言いたくて収められたものなのだろうか。私はイエスの言葉の原理というものに、あらためて注目したいのです。そこで、今日の旧約聖書の言葉に注目したいのです。「主を愛する者は」という言葉です。主を愛する者というのは、神である「主」が私たちに惜しみなく与えてくださる愛をもって、それに答え応じるということであると私は受け止めています。
 
そのことを踏まえて、「神と富に仕えることはできない」というイエスの言葉を考えるならば、神の愛というものが大前提にあるうえで、富についてバランスの取れた考え方をすることをイエスは伝えたかったのではないだろうか。決して、富を捨てるということを推奨することを目的にはしていない。神の愛のあるところには、富を人間支配の材料にしたり、悪用したりしないという、私たちの目指すところをイエスは語りたかったのではないかと、私はこの聖書の言葉を受け取りたいと思いました。
 
そんな思いをもって、「神の愛を中心としたバランス」というものをもって、今日の一日を過ごしたいと思わされた次第です。皆さんの一日にも、神の愛があますところなく注がれて、それによって素敵な時となりますように。心からお祈りいたします。

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