08/05/2023

2023.5.8(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記3章14節
神はモーセに言われた。「私はいる、という者である。」

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙8章31節
神が味方なら、誰が私たちに敵対できますか。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活30日目を迎えました。昨日から降り続いている雨は大雨となり、豪雨となっているようです。宮城県内でもこの大雨によって暴風警報が出ているところがありました。少しでも災害を免れることができますよう、祈りたいと思います。
 
昨日は教会役員会後に、3週間前に病床洗礼を授けた方が入院しておられる病院へ向かい、病床聖餐を行うことができました。洗礼を行った日に聖餐を行うことが出来なかったのが心残りでしたので、教会でも聖餐礼拝のあった同じ日に、朝の礼拝で用いたパンとぶどう液を用いて聖餐をおこなうことができたのは、とても感慨深いものでした。随分衰弱されておられましたが、かすかに声を出されたり、うなずくなどの反応が明らかにありましたので、本当に良かったなと思っています(すでに飲食ができなくなってしますので、口元にぶどう液をしみこませたパンを近づけ、お食い初めのようにチョンチョンと唇につけました)。
 
さて、私たちに与えられた今日の御言葉は、まさに神がどのような御方であるかを、とてもシンプルなひと言で表現しているものなのだと。「私はいる」という神の名は、私たちに大きな安心を与えるものなのだと。私はそのように感じたのです。
 
長く「私は『ある』」という日本語に訳され続けていた聖書の言葉です。「ある」にしても「いる」にしても、存在を表す動詞の日本語訳ですから間違ってはいません。ただ「私は『ある』」という日本語訳に、私は何となく不自然さを感じ続けていました。ですから、新しい聖書(聖書協会共同訳)になって、「私はいる」という日本語訳に、分かりやすさというものをより感じられるようになった。私はそのように思っています。
 
私は神で「あり」、あなたがたと共に「いる」ゆえに、あなたがたの神と「なる」。
 
「ある」「いる」「なる」は、神のお名前に込められたすべての意味であると。その名前をもった神が、私たちひとりひとりに生きる命を与えられ、しっかりと守られ、こうして私たちの「味方」となってくださる。まさに、本日の新約聖書の言葉に示された「私たちの『味方』である神」に相通じるのだと。そのように受け止めたいのです。
 
さまざまな不安のなかにあっても、苦痛のなかにあったとしても、私たちの神となってくださる方が、何を私たちに与えらえるのか。そんなことを思いにとどめながら、一日を営んでまいりたいと思います。さまざまな方の苦しみに神が親しく臨んでくださることを祈りつつ。皆さんの一日に、ともにおられる神の守りと平安がありますように。お祈りいたします。

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