27/05/2023

2023.5.27(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記32章4節
主は真実の神で、偽りがなく
正しく、まっすぐな方。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一3章24節
神が私たちの内にとどまってくださることは、神が私たちに与えてくださった霊によって分かります。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さんおはようございます。
いよいよ、明日は「聖霊降臨祭(ペンテコステ)」です。イエスが弟子たちに約束された通り、イエスの身代わりとなる弁護者である聖霊が、私たちひとりひとりに与えられたことを記念する祭りです。
 
昨日、私が勤務する東北教区センター・エマオで月に1回開催される「合同青年会(セカチュー)」へ、初めて来てくれた高校生が、ペンテコステという言葉を聞いて「ポンポコの助」だと思ったと話してくれました。そりゃそうだよなあと思ったのです。クリスマスやイースターに比べたら、まだまだペンテコステという言葉が世の中に出回ることがありませんし、聖霊と聞けば、何それ?となる。「霊」という言葉にピンとこない。そりゃそうだよなあと思うのです。
 
しかし、教会は、クリスマスやイースターと並んで、ペンテコステを何の遜色もなく、大切な祭りとして祝い続けてきましたし、私はこの祭りこそ強調してしかるべきものなのだと、いつも思わされています。今日の聖書の言葉は、まさに聖霊を説明するのにふさわしい、そのようなものだと思わされました。
 
今日の新約聖書の言葉である、ヨハネの手紙一で綴られていることは、神が私たちのうちにとどまってくださるのは、聖霊によって分かるのだということです。その前に、神の「なに」がとどまっているのだろうか、ということです。神が私たちのうちにとどまり、、、という表現は、かつてイエスが弟子たちに語られたメッセージのなかにあります。十字架にかけられる前に、弟子たちに語られた「送別説教」と呼ばれているものです。
 
イエスは、父なる神と御自身、そして弟子たちである私たち人間との間で「とどまり」という言葉を何度も用いられます。とどまりとは滞在することであり、滞在することで「つながり」、すなわち連帯感というものを味わい、愛に生かされる者となることができる。つまり、神と人とのつながりにおける基となるのが「神の愛(アガペー)」であるというのです。
 
そして、イエスはそのつながりについて語られるのと同時に、真理の霊、つまり聖霊の助けというものを弟子たちに語られました。ヨハネの手紙の中で、神が私たちにとどまっていることは「聖霊」によって分かると述べたのは、まさに「神の愛」が私たちのうちにとどまり、神の愛によって神と私たちがつながっているということと、聖霊のお働きというものが、決して切り離せない関係にあるということなのです。
 
つまり、聖霊は「神の愛」が十分に詰まっているということなのです。今日の旧約聖書の言葉で語られているのは、神の真実であるとか、正義、公正というものですが、これもその基盤にあるのは「神が私たちを大切にされるがゆえに注がれる愛」ということであり、それが、今私たちに対して、聖霊が働かれることによって、私たちの心にとどまることによって、私たちが愛を受けて生きるべく、私たちを支えてくださるのだと。
 
そう考えますと、ペンテコステとは「神の愛が生まれた日」を祝う出来事と言えるのかもしれない。私はそんなことを思わされたのでした。明日のペンテコステに向けて、心を弾ませながら、備えの時を持ちたいと思います。皆さんの一日にも、神の愛が聖霊を通してしみわたり、それぞれの心にとどまってくださいますように。お祈りいたします。

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