25/05/2023

2023.5.25(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ミカ書5章1節
エフラタのベツレヘムよあなたはユダの氏族の中では最も小さな者。あなたから、私のためにイスラエルを治める者が出る。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙一3章16節
まぎれもなく偉大なのは、敬虔の秘義です。すなわち、
キリストは肉において現れ霊において義とされ
天使たちに見られ
諸民族の間で宣べ伝えられ
世界中で信じられ
栄光のうちに上げられた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日はいつもより休息をゆっくりと取りました。風邪が抜けきっていませんでしたので、意識して朝遅めに起きました。それだけ黙想をお届けするのが遅くなりましたが、私自身は爽快な朝を迎えることができましたので、本当に良かったと思っています。風邪が結構流行っていますので、皆さんの体調が守られますように。お祈りいたします。
 
さて、今日の聖書の言葉で注目したいと思ったのは、「敬虔の秘儀」という、第一テモテ3章の言葉です。この経験の秘儀が語られた後、救い主イエスがどのようにして、私たちの命の救い主となられたのかについて、賛歌のように綴られています。まさにマリアの胎内に宿った時から、昇天に至るまで、イエスの歩みというものは、私たちの想像をはるかに超える、神の御業であったと言えるでしょう。私たちの常識ではないという意味で「秘儀(原語ギリシア語ではミュステリオン:英語ミステリーの語源となった言葉」であると言えます。
 
この秘儀という言葉が「敬虔」という言葉とつながって「敬虔の秘儀」と、今日の聖書の言葉として表現されています。つまり、私たち人間では想像もできないようなことをもって、私たちを愛し、命を与え、救いへと導いてくださった神の御業に対して、畏敬の思いを抱くほどに、この救いというものは不思議なのだということを、「敬虔の秘儀」という言葉は表現しているのだと。あらためてそんなことを思わされました。
 
私は仙台の街に牧師として赴任して1年2か月になります。このところ考えていたのですが、私がこの街にやってきたのは、ある意味で言えば「志願した」からだったのですが、しかし、その理由だけでは語れない「さまざまな理由」が分かってきました。これは、自分自身の意志ではとうてい推し量ることのできない、神の導きというものが働いている。私は最近そのことを強く感じることがたびたびあるのです。
 
昨日、そのことを感じるある出来事がありました。孤独な生活を送らなければならないある方との、数十年ぶりの出会いがありました。昨日、電話でその方と話したのですが、それはとても不思議な体験でした。おそらく、私が仙台に転居しなければあり得なかった出会いだったからです。実は、その方のことがずっと気にかかっていました。だからこそ、電話口でその方の声を聞いた時に、そしてその方から「助けてください」と言われたときに、私は、ああ、仙台に来たひとつの理由なのだなと感じたのです。その方のことを具体的に助けることができる。決してその方に宗教勧誘するわけではなく、あくまで「イエスが与えてくださった愛」をもって、接することができるのだ。そう思ったら、なんとも嬉しい気持ちにさせられたのです。これぞ、神の秘儀を見せられた経験なのだと。神が敬虔の思いを私に与えてくださったのだと。そう確信せずにはいられませんでした。
 
今日の午後に、その方とお会いします。胸が高鳴ります。少しでもその方の助けになることができますようにと祈りつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。どうか、皆さんの一日にも、神の不思議な御業が、祝福となって表れますように。お祈りいたします。

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