07/04/2023

2023.4.7(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編34編9節
味わい、見よ、主の恵み深さを。
幸いな者、主に逃れる人は。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書23章42~43節
(犯罪人のひとりが)
「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」と言った。
 するとイエスは、
「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)39日目を、そして私たちは受難日を迎えました。本日選ばれた旧約聖書の言葉は、受難の苦しみを物語るというよりは、主なる神の恵みを味わい知ることを私たちに促す詩の一編です。
 
主がいかに私たちを愛し、慈しんでおられるかを私たちが味わい、じっくりと噛みしめていくうちに、その味わいがあふれてくる。そんなイメージが私の思いのうちを駆け巡ってきました。
 
これは私の妄想かもしれませんが、嚙みしめるという行為は相当な力を込めないとできないことです。奥歯に力が入らないというのは、大したことがないようで実は不便だったりするわけです。食べ物もしっかりと噛みしめないと、その味わい深さを知ることが半減するような気がするのです。味わいというのは、味覚だけでなく粘膜にふれるときの触覚であるとか、噛みしめる時に歯肉に伝わる弾けるような感覚であるとか、そういうものを総合的にとらえて、初めて味わうことが可能なのだと思うのです。
 
私たちは、イエスの肉体が十字架で引き裂かれるような出来事が、まさに舌の上を通り過ぎるだけの感覚とはかなり違うものであると思うのです。私の体と言われたパンを噛むときの感触は、まさにイエスが十字架で釘打たれた時の肉体に相通じるのだと。そのパンのひとかけらを私たちがじっくりと噛みしめるときに、主の味わい深さというものを実感できるのではないか。そう思えてならないのです。
 
イエスとともに十字架に架けられた犯罪人のひとりが、それこそ引き裂かれるような苦痛の中でイエスに「私を思い出してください」と願い出たときに、それこそ、彼がイエスの味わい深さを経験した瞬間だったのではないか。そのように思うのです。イエスが単なる犯罪人のひとりではなく、罪のないイエスがあえて十字架にかかられた、その意味の深さを彼は知ったのです。そう、それは実に深い味わいなのだと。
 
主の味わい深さを知った者は恵みのなかにあると詩人が歌ったように、イエスはその犯罪人に言いました。あなたは今、私と共に楽園にいるのだと。将来の話でも希望的観測でもありません。今、あなたは私の味わい深さを知り、それを共に食しているのだと。その幸いをイエスは語られました。
 
どうして世界の救い主が死罪人なのか。そこには一般的な常識では平易に理解できないものがあるかもしれない。しかし、そこには味わい深さがある。噛みしめれば噛みしめるほどに恵みという味わいが、私たちの口の中にあふれてくるのだと。このあふれる味わいを、受難日という今日の一日、経験したいと改めて思わされました。
 
受難日の一日が、苦しみのなかに恵みという味わい深さもまた経験できる時でありますように。皆さんの主にある平安をお祈りいたします。

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