05/04/2023

2023.4.5(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編33編5節
主は正義と公正を愛す。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二8章9節
あなたがたは私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)37日目を、そして受難週4日目を迎えました。
主の受難週も、もう中日を迎えました。明日からは洗足木曜日(聖木曜日)、そして明後日は受難日(聖金曜日)を私たちは迎えることになります。救い主イエスが私たちのために最も貧しくなられたことの意味を、心のなかで反芻しながら、その備えとなる今日の一日を過ごしてまいりたい。そんな思いで本日選ばれた御言葉に心を傾けてまいりたいと思います。
 
主なる神は「正義」と「公正」を愛される。これが本日の旧約聖書の言葉です。正義と公正は、なんとなく同じ響きを持つ言葉であり、どちらも「正しい」という意味が込められているのは、漢字から読み取ることができます。しかし、あえてこれらの言葉を使い分けているところから、もう少し掘り下げて考えてみたいと思いました。
 
まず正義から。正義とは文字通り「正しさ」そのものです。そして、聖書で正義という言葉が用いられる場合、それは「神御自身の正しさ」と言って間違いありません。神が私たちに与えられる正義とはどのようなものなのだろうか。それは私たちのそれぞれが抱く正義というものと比較しながら考えることができるのかもしれません。
 
私たちも自分なりの正義をもって、日々の行動を歩もうとしますが、その正しさは時に、独り善がりなものになってしまうことがないだろうか。そんなことを思わされます。自分自身が正しいと思っていることが、実は万人に共通するものではないということを、私自身も生活のあらゆる場面で実感することがあります。私は正しいという感覚は、それイコール「他人は間違っている」と断定しまうこともしばしばあるからです。そのことがエスカレートすると、自分の正しさを押し付け、それで抑圧し束縛する。こうして不幸というものが生まれていくのではないか。そんなことを自戒を込めつつ思わされるのです。
 
神はご自分の正しさを、救い主イエスの生き方というものをもって究極的に示されました。あえて貧しいところに自分の身を置いて、本来得るべきであった富を投げ捨てて私たちのために与えてくださった。すなわち、私たち人間の命を、ご自分がつくられたその意図にしたがって大切にされるところに、神が示された「正義」があるのだと、私は受け止めたいのです。たとえ人間が神に逆らっても、神はご自分の当初の目的を崩すことなく、壊すことなくご自分が貧しくなっても与える正しさです。
 
公正とは、その正しさというものを分け隔てなく行き渡らせようとする態度のことを指します。誰もが幸せを受け取ることができるように働く思いが、公正の示す意味です。そう考えますと、ご自分の富を貧しくさせてまで、私たちのすべてに与えようとする正しさが公正であり、ご自分の正義を公正に私たちに与えるほどに、私たちを愛された、つまり大切にされておられるという意味で、神は正義と公正を愛される御方であるということができるのだと私は受け止めました。
 
それが、十字架の痛み苦しみという貧しさをあえてお受けになられ、その道を進んだイエスの恵みであると、後に使徒パウロは人々に知らせました。その恵みというものを「私たちは知っています」と手紙にしたためたパウロの思いを、私たちもまた受け取ることができるのだというのです。まさに、受難週に聴きたい御言葉だと私は思わされました。
 
貧しくなることでかえって富んだ。私たちの現実ではなかなか理解しがたい出来事を、あえて私たちに示してくださった神の正義というものを身にまといながら、今日という一日を歩んでいきたいと願わされました。神の正義と公正が私たちを豊かにしてくださることを信じつつ望みつつ、受難週の旅路を歩むことができますように。お祈りいたします。

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