16/12/2022

2022.12.16(金) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編139編1~2節
主よ、あなたは私を調べ
私を知っておられる。
あなたは座るのも立つのも知り
遠くから私の思いを理解される。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録17章28節
私たちは神の中に生き、動き、存在しています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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神は私を知っておられる。
本日は、この詩編の言葉に注目して、黙想してみたいと思います。
 
私はこの言葉を、どんなに他者が私のことを理解してくれなかったとしても、私が神とともにあるならば、神は私の今ある姿をすべて理解された上で、私に適切な道を与えてくださるのだというふうに受け止めました。
 
つまり、ここで言う「知る」とは「理解する」に通じる言葉なのですが、それは、私のあるがままの姿をあるがままに理解し、それを是認してくださるというよりも、どうすれば私自身がこの世界で、神とともに生きる幸いというものを得ることができるか。その道を知っておられる、これから営もうとする私の生き方というものを理解されておられる、というように受け止めました。
 
誰かに理解されないということに、苦しさを覚えたことはないでしょうか。私はたくさんあります。誤解されて、まったく予期しない方向に物事が進むときに、こんなに苦しいことはないのです。誤解される方も悪いと言われれば、そういう一面もあるでしょう。私も100%正しいことをしているなどという根拠はどこにもないからです。しかし、それを差っ引いても、理解されないということのつらさというものは、決してぬぐい去られることのない事実なのです。
 
これが、神が私に期待しておられることと、世の中が期待していることとの間にズレがあるときに、神の御心を尋ね求めた結果、この世界では決して受け入れられることのない選択をした場合、理解されないという現実に直面します。時には自分自身の選択が間違っていたのだろうかと思い悩むこともあるし、本当に間違っているのかもしれない。しかし、これが神の御心であると信じてその道を選び取ったわけですから、そこに神の助けがあることを信じたいのです。
 
そんな時に、神が私のことを知っておられる、理解してくださっているという聖書の言葉は、私自身のありかたを正当化するためのものではないと、私は受け止めたいのです。神の御心と信じていたとしても、それがベストではない。神は、私が神の御心と信じて選択したことを理解してくださりながらも、神がベストと思われる道を、新たに私に提示してくださり、その道をともに歩んでくださる、歩ませてくださるのだと、私は受け止めたいのです。
 
神の中に生き、動き、存在しているという、本日の新約聖書の言葉は、神とともに生きようとする自分自身のありようを絶対化することから離れられるひと言だと思いました。神の世界のなかで私たちが生きているのだという感覚は、私のことをすべて理解してくださった上で、時には教え、戒め、生きる道というものを示してくださるというところにまで及ぶのだと信じて、私自身を客観化しながら、絶対他者である神に理解されることへの平安を得ながら、今日という一日を歩みたいのです。
 
そのために、神の言葉が与えられていること、聖霊なる神の助けがあることに感謝しつつ、皆さんの一日にも、神の守りと祝福が豊かにありますように。お祈りいたします。

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