31/10/2022

2022.10.31(月) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書22章3節
公正と正義を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救いなさい。寄留者、孤児、寡婦を抑圧したり虐待したりしてはならない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙12章9節
愛には偽りがあってはなりません。悪を退け、善に親しみなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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今日選ばれたふたつの聖書の言葉を通して、あらためて考えさせられたこと。それは、いわゆる「カルト宗教対策」の目的に相通じるところがあると、強く感じさせらたのです。
 
私自身がカルト宗教出身者ということもあって、20数年前に教会の門を叩いて以来、クリスチャンに、そして牧師になっていく過程でつねに意識していたのは、カルトで経験したことを繰り返さないために、何が私にできるのだろうか、という問いでした。その問いは、今も問いとして続いている、私の一生涯の課題のようにも思えます。
 
特に、7月に起きた安倍元首相銃撃事件以降、世間を騒がせ続けているカルト宗教問題と、その犠牲となり続けている方々に直接・間接的に接する機会が与えられているわけですが、そういう方々に向き合い、またカルトという社会悪に立ち向かっていく根拠というものを、あらためて考えさせられている次第です。
 
私は、今日の聖書の言葉を通して思わされるのは「神が望んでいないことを、さも神が望んでいるかのように振る舞い、神が人に与えてくださった大切なものを奪い取り、虐げてはいないだろうか」ということです。それが、今日の旧約聖書に示されたメッセージなのだろうと受け止めました。
 
公義と正義、とあります。私たちはついつい自分の正義で社会悪と戦おうとしてしまうことがあるかもしれません。しかし、私自身を根拠とする正義は、非常に不安定で、脆弱で、気まぐれで、その場限りであったりします。これは私の経験からですが、私の良心によってつくりあげられた正義心というものが、神の放たれる正義や公義というものに、どれだけ沿ったものなのかを、十分熟慮しなければ、私自身もいつしか搾取し、虐待する側の人間になってしまうかもしれない。そう思ったのです。
 
愛には偽りがあってはならない。今日の新約聖書のことばです。ここで言う愛とは神の愛、アガペーの愛を指すわけですが、自分の利益を優先的に求めないアガペーの愛に偽りなく私自身が受け入れていくことの大切さと幸いというものを、今日胸に刻みながら、手の内に握りしめながら歩んでいきたいと願わされました。
 
主の日が終わり、今週もいろいろなことが動き始めます。神の正義と公義が十分にあふれた愛が、この世界を動かす原動力となり、私たちを支える源となりますように。お祈りいたします。

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