30/10/2022

2022.10.30(日) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編84編12節
神である主は太陽、盾。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書4章40節
イエスは(弟子たちに)言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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今日の新約聖書の言葉として選ばれたのは、イエスが「向こう岸に渡ろう」との言葉によって、弟子たちとともに舟に乗り込んだときに、嵐が容赦なく彼らを襲い、その嵐におびえる弟子たちをよそに、イエスがその嵐を鎮められたという出来事のあとで、イエスが弟子たちに語られたひと言です。
 
弟子たちは、自然をも制することのできる自分の師匠とは何者かと、大きな恐れの気持ちを抱きました。それは恐怖でしょうか、それとも畏敬の念でしょうか。間違いなく、弟子たちの心にあったのは恐怖でした。だからこそ、イエスは弟子たちに問われたのでした。なぜ怖がるのかと。
 
イエスは続けます。まだ信仰がないのかと。実は、弟子たちはすでにイエスという信仰の実体が与えられていて、それだけでなく、その信仰の実体と寝食をともにしていたのですから、彼らには信仰がないはずがありません。しかし、彼らはイエスから、まだ信仰がないのかと問われたのでした。超自然的な力を「信仰の実体であることの証明」として見せられた後でです。
 
ここで私は、あらためて考えさせられました。私自身、イエスから信仰をいただいたけれど、その信仰を私自身の「盾」と本当にしているだろうか。ここで、今日の旧約聖書の言葉に思いが募ります。神なる私たちの主は、私たちの盾となってくださる方だと。
 
あらゆる攻撃から身を守るために、盾はあります。その盾は、何か支給品のように与えられるのではなく、また、私たちがより良い盾を求めて武具店に行くのでもなく、神御自身が私たちの盾となって働いてくださる。たんなる物ではなく、私たちの必要をすべて御存知である方が、ご自分の人格をもって私たちを守り抜いてくださるのだと言うのです。
 
イエスが言われた「まだ信仰がないのか」というひと言は、どんな恐れるときにも、この私がいるではないか。この私があなたを守るではないか。そんな気付きを私たちに与えてくれる、イエス御自身の確かな約束として受け止めたいのです。その約束を、イエスは私に、日々の営みのなかで証明してくださるのだと。
 
今日から始まる新しい一週間、そんな盾なる私たちの神が生きて働いてくださり、信仰の実体であるイエスが私たちとともにいてくださることを、生きる望みとすることができたら、どれだけ幸せなことだろうかと期待しながら、歩んでまいりたいと思います。皆さんの新しい一週間のすべてに、神の豊かな助けと守りがともにありますように。お祈りいたします。

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