15/10/2022

2022.10.15(土) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ミカ書7章7節
私は主を仰ぎ見
わが救いの神を待つ。
わが神は私に耳を傾けてくださる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙3章2節
上にあるものを思いなさい。地上のものに思いを寄せてはなりません。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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決して「世捨て人」にならなくてもいいし、なってはいけないのだ。だからと言って、この世に失望してしまうときに、私はどうすればよいのだ。そうだ。神のなさることに期待しよう。そして神が動いてくださるのを、今あることがつらかったとしても、期待と希望をもって今日も待ち続けることにしようではないか!そうすれば、今日という一日を乗り越えることができると思うし、もしかしたら神が今日歩むにふさわしい光を与えてくださるかもしれないから。
 
今日与えられたふたつの聖書の言葉を通して、私の心に思い浮かんだフレーズです。
 
今週も最終日を迎えました。この一週間の私自身を振り返ると、決して大げさではない、人生の大きな局面を迎え、そのことが開始された一週間でした。いつかは受け入れなければならない課題が私にはありました。それがとうとうやって来たという現実が突き付けられました。この一週間にあった様々な出来事を思い起こしながら、今朝の言葉に出会い、ハッとさせられました。
 
期待していた物事が期待通りに運ばないとき、そこには失望が生まれる。誰もが多少なりとも経験することです。そして、究極的にはそれは誰の責任でもないし、みんなの責任でもある。失望というのは究極的に言えば、人間の持たされてきた歪みというものの究極的な見えるかたちなのではないか。そう思えてならないのです。それを、聖書の世界では「罪」と表現し、今日に至っています。
 
先に申し上げた、私の受け入れた決断というものが100%正しいとは到底思えません。しかし、今置かれている状況のなかで、自分自身ができることを熟慮を重ねて導かれた決断は、正しいかどうかわからなくても、進みゆくという選択を私はしました。そんな決断と選択をしたときに、私が大切にしたいと思ったのは、私には神がいるというひと言に尽きます。
 
神は私の決断と選択を完全に正当なものだと認めておられるとは思いませんが、神が行く道行く道に光を与え、私にそれを指し示し、たとえ私が望んでいる期待や願望と違っていたとしても、神が最高のアドヴァイスを与えながら、ともに歩ませてくださる。だから、今は私の決断と選択というものが、神の助けによって一歩、一歩、前に進むことをしたい。そのように願わされています。
 
今日の新約聖書の言葉にある「地上のものに思いを寄せてはなりません」という言葉に心打たれます。自分の身の周りを見渡せば、不安を呼び起こし、それに煽り立てられるような要素はいくらでもあります。それに打ちのめされて、臆病になり、前へ進むことすら躊躇したくなることを、いくらでも見つけることができます。
 
だからと言って、この世に未練を残さず逃避するとか、この世を見下す必要はまったくないのだと私は思います。この世界の現実を直視しつつ、しかし、それよりもはるかに行くべき道を指し示してくださる方がおられる。そのことを知るだけで、バランスをとりながらこの世で生きることができるのだと。上にあるものと表現された神のことを思いつつ。
 
どうか、今日の一日が期待と希望に満ちあふれたときとなりますように。皆さんの一日も明日へと向かう備えの一日として、祝福が神とともにありますように。お祈りいたします。

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