30/09/2022

2022.9.30(金) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編90編4節
まことに、あなたの目には
千年といえど過ぎ去った一日のよう。
夜回りの一時にすぎない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章50節
その慈しみは代々限りなく
主を畏れる者に及びます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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私たちにとっては、とても長い一日であったとしても、神の目からすれば、千年も一日のようであるその永遠のなかで、まばたきのような一瞬のときなのだ。
 
今日与えられた旧約聖書・詩編の言葉は、私に何を伝えるものなのか、そんなことを考えているうちに、私が思ったり考えたりしていることの「大きさ」について黙想させられました。
  
悩みは尽きない。そんな思いが私を取り囲むときに、一分一秒ですらものすごく長い時間に感じることがあります。早くこの悩みから解放されたいと思えば思うほど、そこにとらわれている自分自身があれば、なおのことそのように感じるのだと。こうして、暗闇のなかをもがきながら、今という時間を過ごしているなんてことは、よくあるのかもしれません。
 
しかし、よくよく考えてみれば、私に与えられた人生のときというものは、長い歴史のなかのほんの一瞬に過ぎないのだと。人並みに80年あまりの人生を過ごしたとしても、それは長い歴史のように感じたとしても、この世界の長い歴史に比べれば、ほんの一部分のことなのだと思うのです。ましてや、永遠をつかさどられる神の歴史からすれば、それは豆粒のようなものなのかもしれません。
 
だからと言って、私の人生というものがちっぽけなものなのか。そうではありません。神の目からすればほんの小さな私の人生であっても、髪の毛一本まで残らず数えてくださる神がおられるではないか。神はどんなに小さなことでも、ご自分が与えられた命を必ず守り通してくださる御方なのだと。その神の偉大さと細かいご配慮のなかで、私という一人の人間が生かされているのだと。
 
私を支配して離そうとしない、重く苦しく、とてつもなく大きく見える出来事も、神のそのようなご配慮と、私の心や思いをはるかに超えて大きな時空のなかにおられる神のスケールの大きさによって、私のうちにある大きなものは、実は自分が苦しみ悩むほど大きなものではないということに気づかされていく。もちろん、度量の大きな神がこの小さな私とともにおられるがゆえのことです。
 
神のそのような懐の深さに守られながら、永遠のなかで今日という一日が今日も与えられて、そして生かされていく。私の今抱えている課題も、必ず神がその大きな御腕のなかで、ちいさなひなを守られるように、支え、しかるべき道へと導き、そして祝福してくださる。そんなことを胸に抱きながら、希望をもって歩みたいと願わされました。
 
私たちにとっては強大に見えても、神の世界からすればほんの小さなことなのだと。しかし、小さなものを見過ごさず、見捨てることなく大切に守ってくださる神がおられるということが、私たちにとっての平安でありますように。お祈りいたします。

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