25/09/2022

2022.9.25(日) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編121編3節
主があなたの足をよろめかせることがないように。
あなたを守る方がまどろむことがないように。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一1章7~8節より
私たちの主イエス・キリストは、あなたがたを最後までしっかり支えて、非の打ちどころのない者にしてくださいます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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非の打ちどころのない者にしてくださるイエス・キリスト。
 
今日の新約聖書にあるこの言葉に、なんとなく「ひっかかり」を覚えました。そのあたりを黙想してみたいと思います。どうしてひっかかりを覚えたのか。おそらく、非の打ちどころのない状態には程遠い私自身を発見しているからなのかもしれません。
 
この言葉は、使徒パウロがコリントにある教会の信徒に宛てて書いた手紙の冒頭部分にあるひと言です。しかし、このあとにパウロによって書かれることは、いかにコリント教会というところが、さまざまな問題を抱えていたかを明らかにしています。分派の問題からはじまり、個人の生活や賜物にいたるまで、とうてい「非の打ちどころのない」とは言い難い状況が、コリント教会にはありました。
 
そのようななかで、パウロは「イエス・キリストがあなたがたを最後までしっかりと支えてくださった」うえで、最終的には非のうちどころのない者として神の御国を迎えることになると手紙にしたためました。つまり、教会にある種々の問題を解決し、私たちをそのなかで生かし続けることができるのは、ほかならぬイエス・キリストであり、イエスの助けなしには何も成り立たないことを、パウロは説明したかったのです。
 
イエスの助けを私たちが切に求めるためには、イエスがどのような心と思いをもって私たちに接してくださるかということを理解しようとする態度が、まずなによりも必要であると私は受け止めました。聖書を読むときの態度。それは、私たちを最後までしっかりと支えてくださるイエスの心を、私たちがゆがみなく、都合の良いところだけを取り出すことのないように、キャッチし続けようという願いから来ると私は受け止めました。
 
その基本にあることは、コリント書のなかにもありますように「愛」です。イエスは、神を愛し、隣人を愛すること。これこそ律法を全うするものであると言われました。神を愛し、隣人を愛するに先立って、神が私たちを深く愛し、救い主イエスを差し出すまでの愛を示してくださった。この愛のモデルがあって、はじめて私たちは神を愛し、隣人を愛することが可能となるのだと。この愛が基本にあって、イエスを私たちは見るのです。愛がなければ、信仰も希望もないのだと、イエスの心を理解していたパウロも告げているほどです。
 
この愛を私たちはイエスから受け取るときに、今は不完全で落ち度だらけの状態が私のうちを取り囲み、縛り付けていたとしても、そのなかで少しずつイエスの愛で歩むことができるのだと私は受け止めました。イエスの愛を聖書のエピソードから学び取り、自分自身の心の糧とするときに、必ず、この世にある数々の課題に向き合い、神とともに、イエスとともに歩む足取りがしっかりとしたものになるのだと信じたいのです。それは、今日与えられた旧約聖書の言葉にある通りです。
 
今日も、世界中の教会や集会で、神の愛が語られます。神の愛が世界の中心で叫ばれるときに、私たちのうちに変革をもたらし、何かか必ず起こるのだ。そんなことを胸に抱きつつ、今日という一日を歩みたいと思います。皆さんの一日が、そのようなイエスの愛によって支えられますように。心よりお祈りいたします。

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