14/09/2022

2022.9.14 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編81編8節より
神の言葉:
あなたが苦難の中で呼ぶと
私はあなたを助け出した。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙二4章17節
パウロの手紙:
主はそばにいて、私を強めてくださいました。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の聖書の言葉ほど、神のことを端的に表現したものはないと感じました。神は私たちの苦しみの声に耳を傾け、必ず助けられる方であると、神御自身がこの私に語りかけておられると、詩人は自分の思いを歌いました。それは旧約の時代のみならず、イエスが救い主となられた後も、パウロがそのことを実感し、愛する若い仲間テモテへ手紙を書き送ったときにも、そのことを何のためらいもなく書き綴っています。苦しみを理解し、ともにおられ、助け出す私たちの神がイメージだけではない、実際におられるのだという確信です。
 
昨晩は、スペイン・バルセロナで毎月開催されている「バルセロナ日本語で聖書を読む会」のメッセージを担当する機会をいただきました。コロナ禍以降、オンラインによる集会が一般的なものとなったおかげで、世界中から集会に集まって、聖書の言葉を真ん中にして交わりを楽しむことができるのは、本当に素敵なことだなとつくづく思わされます。とても楽しく充実した2時間あまりのときを過ごすことができました。
 
昨日は、創世記12章にある記述、アブラムとサライの夫婦が飢饉のためにエジプトへ逃れたという物語からメッセージをいただきました。アブラムは妻サライの美貌のために、エジプトへ行ったら自分が殺されてしまうのではないか。そうすることで神の選びというものを台無しにしてしまうかもしれないとでも思ったのかもしれません。妻を妹と偽ってその場を乗り切ろうとします。そして、サライはエジプト王の妻として迎え入れられ、アブラムは生活に困らないだけの宝を手にします。
 
しかし、アブラムもサライも命拾いはしたけれど、思わぬ展開に後にひけなくなった。そんなときに神の御業が働きます。エジプト王宮にいるものは重い病気をわずらいます。そして、王にアブラムとサライは夫婦であることがばれて、王は恐ろしさゆえにサライをアブラムのもとへ帰しました。
 
なぜ災いを受けたのは、アブラムではなくてエジプト王だったのでしょうか。それはアブラムが神に選ばれた信仰者でエジプト王が異教者だったからという単純なものではないように私は思います。アブラムはエジプト滞在で起こりうる危機に際して、神に頼ることなく自分の知恵に頼ろうとしてこのような行動に出た。しかし、神はそんなアブラムに気づかせたのではないでしょうか。自分の知恵に頼らず、私に依り頼みなさいと。そうすれば、私はあなたを必ず助けるのだと。
 
つまり、失敗から学ぶ教訓を神はアブラムに与えつつ、彼の命を助けるという本質に生きるようにアブラムを導かれた。アブラムはこうして、自分に与えられた信仰というものを生涯のなかで少しずつ、少しずつ自分自身の確信とすることができたのかもしれません。
 
私は、アブラハムという人物が、最初から立派な「信仰者の父」であったなどとまったく思いません。創世記の記述からすれば、アブラハムの人間臭さというものをいくらでも見ることができます。しかし、彼は神が与えられた信仰を、その人生の歩みのなかで徐々に自分自身の生きる支えとすることができた。そして、今日の詩人のように、使徒パウロのように、自分自身の経験からくる確信へと結び合わされていったのだと、思えてならないのです。
 
私たちの生活にどんなことが起こるのか、まったく想像もつきませんが、今日起きる一日にも神が私たちとともにおられる。それを希望として歩むことができますように。お祈りいたします。

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