13/09/2022

2022.9.13 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編118編14節
主こそ私の力、私の歌。
私の救いとなってくださった。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙15章13節
希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって、あなたがたを希望に満ち溢れさせてくださいますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日のふたつの聖書の言葉を通して、私は「三位一体の神による助け」というものを思い浮かべることができました。皆さんもご存知のように、キリスト教の世界では私たちの神を、父なる神・子なる神(イエス・キリスト)・聖霊なる神といった、三つの顔をもったそれぞれ違う働きをなすけれど、おひとりの神としてあがめています。
 
ただ、それら父・子・聖霊なる神がひとつなる神であるという理解は、決して簡単に理解できるものではないと私は考えています。実際に、キリスト教の教理というものを決めるにあたって、長い時間をかけて神の姿についての論争があり定められたという歴史があります。それだけ議論の余地が十分にあることだったのでしょう。
 
しかし、私たちはその理解しがたい神の御姿というものを「信仰」のことばとしています。ここで、信仰とはいったいなんだろうかということに注意を傾けることができると、私は思わされました。ここで思うことは、信仰とは自分のうちから何かを見い出し、その結果生じるものではなく、神が私たちのうちにご自分を現わすことによって、私たちに与えてくださるのが信仰であるということです。
 
そのことを踏まえて、今日の聖書の言葉をいただきますと、何かが見えてくると私は思いました。主なる神は私の力であり私の賛美、助けであると詩人は歌いました。ここに、神のこの世界に対する目的というものを知ることができます。それは私たちの命を与え、支え、助けるということ。ご自分の力をもってご自分の民としてくださり、きわめて健全なご支配をしてくださる方、それが主なる神であるというのです。
 
それをさらに具体的に述べているのが、今日の新約聖書の言葉です。私たちを守り、助けるという希望を与えてくださる神が、具体的にイエス・キリストの十字架と復活による救いを私たち与えてくださったことそのものが信仰の御業であり、その信仰の御業を理解できるように、神とイエスが私たちをいつまでも守るために、聖霊なる神を豊かに注いでくださる。父・子・聖霊のいずれも、決して勝ることも劣ることもなく、私たちのために信仰を与えてくださる御方なのです。神の子だからといって神に劣る、神の力だからといって神ではないとは決して言い難いのです。
 
聖書には「三位一体」という言葉自体は一度も登場しません。だからと言って三位一体を否定する理由はどこにもありません。神の働きを聖書から丹念に読み取っていくなかで、神が明らかに信仰の言葉として与えてくださる物事もあるということです。それは聖書の言葉が示す本質に基づいたものであり、単なるインスピレーションのようなものとは全然違うものです。
 
私たちにとって聖書を読むという営みとはそういうものではないかと私は思うのです。文字を通して本質を理解するという信仰が与えられるという営みに、今日もあずかりたい。そんな思いで、今日のふたつの聖書の言葉を黙想することができました。そのような営みが、今日の聖書の言葉にありますように、喜びと平和に至る希望の源を感じられるときでありますように。お祈りいたします。

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