04/08/2022

2022.8.4 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
列王記下19章14節より
ヒゼキヤはこの手紙を使いの者の手から受け取って読むと、主の神殿に上った。ヒゼキヤはそれを主の前に広げた。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙4章6節
何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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昨日は、ローズンゲン黙想をブログアップすることができませんでした。最近、ブログ掲載がいつもと違う時間帯になりますと、お読みくださっておられるかたがたから、ご心配の声を頂戴することが多くなりました。それだけ、黙想を読んでくださっているのだなと思ったら、感謝の思いでいっぱいになりました。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。ありがとうございます。
 
昨日は『日々の聖句(ローズンゲン)2023』の編集作業が佳境を迎えているなか、締め切りをともなう作業があったために、どうしても朝黙想をすることができませんでした。その作業は無事終わったのですが、少々身体が疲れておりましたので、昨日は思い切って一日ゆっくりと休むことにしました(あらかじめそのことをご連絡しておけばよかったと、反省しております)。そのおかげで疲れはかなり回復しましたが、徹夜すると昔のような回復は難しいなと思わされます。いつもは朝6時に起きて最初にこのローズンゲン黙想をするのですが、今朝は6時にいったん目覚めたのち、二度寝して起きたのが7時半でした。いつもより遅い配信をどうぞお許しください。
 
さて、今日の旧約聖書には、南イスラエル(ユダ王国)の王であったヒゼキヤが登場します。聖書に記されている数ある国王のなかで、ヒゼキヤは神への忠信をとても大切にした人物であると言われています。神への忠実な信仰というものが、彼の言動にどのような影響を与えたかについては、今日選ばれた「列王記下」のなかに記されています。
 
ときに、強国アッシリアからの軍事的な攻撃を受けるなかにありました。決して大きく、強くない小国であるユダ王国。アッシリアにやいばを向いたとて、そこに生じるのは犠牲だけであることを、ヒゼキヤ王は十分知っていたことでしょう。そこでヒゼキヤ王は知恵を用いて小国なりの政治を展開するわけですが、ヒゼキヤにとってその知恵の源は、神御自身にあったということが、今日の聖書の言葉からもうかがい知ることができます。
 
アッシリアから届いた侮辱的な手紙を感情的に握りつぶし、破り捨てることなく、ヒゼキヤ王はそれを神殿へ持っていき、その手紙を開いて神へ祈りをささげました。どんなときにも、自分自身の経験や知恵、感情に頼るのではなく、またその足りなさにひるむのでもなく、神の言葉に聴く態度をヒゼキヤは貫き通しました。神の言葉「に」聴く態度というものです。どんなささいなことでもヒゼキヤは神の言葉を通して、神への信仰をいただいたことで、それが彼自身の人生の土台となったというのです。
 
私自身、今日の聖書の言葉に聴くなかにあって、はてさて、私自身そのような生き方をしているだろうかと改めて振り替えさせられました。どんなささいなことにも、神の言葉に聴く態度。今日の新約聖書の言葉にもあるように、思い煩いのなかにあったとしても、神に自分をさらけだし、思いを打ち明けることで、神にアドヴァイスを求める思い、神の言葉に自分自身を沿わせようとする態度。そんな態度をもって今日の一日を歩みたいと願わされた次第です。
 
神の言葉を通して働く神の助けと祝福に、今日も私たちが包まれ、生きるための大きな励みとなりますように。お祈りいたします。

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