22/08/2022

2022.8.22 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書14章22節より
私たちの神、主よ
それはあなたではありませんか。
私たちはあなたを待ち望みます。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙4章16節より
憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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ときのイスラエルは、旱魃(かんばつ)の状態にありました。家畜が食むための牧草も水不足も枯れて、命の危機を感じずにはいられなかった。家畜も、飼育者たちも困り果てて、どのように生きたらよいのか。皆が苦しみの淵をさまよい歩いていました。
 
そんな時に、人々が頼るべき先。預言者エレミヤはこのことをはっきりと断言します。それは私たちの神、私たちとともにいてくださる主であると。それはあなたではないかとエレミヤは言い、それを苦しみのなかで生きている民にとっての希望なのだと告げました。
 
このとき、世間を賑わしたのは「偽預言者」の存在であることが、エレミヤ書14章に書き記されています。神からのメッセージであると断言し、人々をそのメッセージに従わせようとします。しかし、メッセージに引き寄せられた人々は、なおのこと苦しみの渦に巻き込まれるというのです。偽預言者の言葉からは、犠牲しか生まないのです。
 
何度も言いますが、カルト宗教のすることは、まさに甘い言葉と犠牲の現実です。ある者だけが甘い汁を吸い続けて私腹を肥やす。さんざん絞られ、吸い取られた者はやがて捨てられる。そんな苦しみが人々を襲うのです。神の言葉を利用して人々を苦しみに追い込もうとする態度に、希望を生む神の言葉の本質が人々の心を癒し、人々をまことの幸いへと導く。これが今日の旧約聖書の言葉が示すメッセージです。
 
この希望を私たちは自由に求めることができるのです。神の御前に近づくという今日の新約聖書の言葉は、私たちが遠い旅路を苦労して歩き、その果てにおられる神へたどり着くという意味ではなく、あくまで私たちの目前に希望を提示してくださっている神の差し伸べられる手に、私たちの手をつなぐことなのだと私は受け止めたいのです。
 
憐れみや恵み、タイムリーな助けとは、苦しみのなかであるがゆえにものすごく遠く感じるかもしれない。しかし、それは私たちの眼がかすんでいるだけなのかもしれません。希望はすぐ目の前にあるということを、私たちは苦しみから解放されるための望みとしたいと願いつつ、今日の一日を生きてまいりたいと思います。そのような一日が祝福のうちにあることを、心よりお祈りいたします。

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