11/08/2022

2022.8.11 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編31編24節より
すべて主に忠実な者たちよ、主を愛せ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一13章13節
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。その中で最も大いなるものは、愛です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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あなたがたの神である主を愛しなさい。
 
忠実な者に向けられたとされるこの聖書の言葉を、私たちはどのように受け取ることができるのでしょうか。
 
私たちは自分の愛したいと思う者に対しては、自分の思うように愛します。しかし、今自分が愛そうと思って行使している愛が、本当に神が私たちに期待している愛なのだろうかと、じっくりと黙想することは本当に大切なことだと思わされます。
 
隣人愛と言いながら自己愛を押し付けていることはないだろうか。結局のところ、本当に隣人のために愛そうとしているのではなく、自分が感謝されたい、愛されたいという目的のために、意識的であろうと無意識的であろうと、愛のようなものを振りまいていないだろうか。そこに神の愛が中心に立っているのだろうか。今日の旧約聖書の言葉にある「主を愛しなさい」という言葉も、このような問いの延長線上にあるものなのだと感じさせられるのです。
 
私は、自分の愛したいように神を愛することができます。しかし、それは独り善がりに神を愛しているだけなのかもしれないし、神が私たちに示された「愛」というものの本質を知らずに、その愛のかたちとは到底思えないような愛というものを、実際に人に対して示している自分自身を発見することがいくらでもできます。
 
そういう愛は、本当の意味で隣人愛とはなり得ないし、愛という名のもとの支配になることだってあるわけです。愛とは支配することではなく仕えること。神の愛は、イエスによる犠牲を通して、仕える愛を私たちにお示しになりました。ですから、私たちが主なる神を愛するというのは、いかに自己愛という執着を捨てて愛を受け取り、それを心のうちにしっかりと握りしめながら、日々の営みに遣わされるかということなのだと、そう思わされました。
 
信仰も希望も、そのような愛の土台があってこその信仰であり希望であることを、今日の新約聖書の言葉を通して黙想させられます。自己愛がついつい勝ってしまう私の心に、神の愛を宿らせてくださいますようにと祈りつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一切にも、神の愛が豊かに宿り、ともにある幸いがありますように。お祈りいたします。

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