01/08/2022

2022.8.1 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書57章19節より
遠くにいる人にも近くにいる人にも
平和、平和があるように。
私は彼を癒やそう――主は言われる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙15章33節より
平和の神があなたがた一同と共にいてくださいますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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8月を迎えました。
 
この夏は異常に早い梅雨明け、災害を思わせるような豪雨、社会を見渡せば政治家が暗殺され、宗教という言葉が人々の心を騒がせ、海外では戦いに苦しむ方々がおられる。そんななかで迎える8月、特にこの日本では長年「平和」について心と思いを巡らせ、平和を心からこいねがうひと月として大切に守られ続けているのは、私たちの誰もが知るところです。
 
この『日々の聖句』の原著である『Die Losungen』はドイツで発行されていますので、もちろん日本の平和月間である8月を意識して、今日の聖書の言葉が選ばれたわけではありません。しかし、聖書で繰り返し繰り返し語られ、神が究極的に私たちに与えてくださるものが「平和」ですから、私たちが8月だから平和について考えるのはそうなのですが、地上を旅する神の民として神の国に向かうということは、それすなわち「平和への道」を歩む毎日を、私たちは営んでいるのだと思えてならないのです。
 
平和には癒しがある。今日の旧約聖書で語られているエッセンスがここにあります。人々の傷ついた心を慰め、励まし、倒れてしまいそうな状況にあって寄り添って、立ち上がるためにその身を起こしてくださる。これが平和の道になくてはらないものなのだと、神の言葉は私たちに語りかけます。
 
平和のために刃(やいば)を向けるのであれば、そこには必ず犠牲がともないます。人を傷つけることが平和ではない。人を傷つけるくらいならばまだ自分自身が傷ついたほうがましである。しかし、神はそのような私が傷つくことすら究極的にはお許しになられないのでしょう。神は私たちに平和を与えるために、傷つくのはたったひとりだけで良いのだという思いのもとに、いばらの冠をかぶせられ、鞭うたれ、十字架に釘つけられたイエスを私たちに差し出された。
 
まさに、イエスが「インマヌエル(神はあなたがたとともにおられる)」という名の通りに、今日の新約聖書の言葉が語るとおりに、癒しを与える平和の神が、あなたがたと共にあることを、私たちのあいだに起こる平和のために与えてくださったのだと。
 
いみじくも8月の最初の日に、このような聖書の言葉が与えられることを感謝しつつ、神の助けと力、知恵によって、平和をつくり出す者として歩みたいと願わされました。皆さんおひとりおひとりの一切にもまた、主の平和がともに、豊かにありますようにお祈りいたします。

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