11/07/2022

2022.7.11 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書16章19節より
主よ、わが力、わが砦
苦難の日のわが逃げ場よ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二4章8節
私たちは、四方から苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望しません。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約聖書と新約聖書をつなぐ言葉は「苦難」です。私にとって苦難とは何だろうか。そんなことを黙想していると、苦しみの経験が思い起こされ、その記憶のよみがえりで苦しくなる自分があることを思います。おそらく、苦しみの記憶などというものは、一生つきまとうものなのだ。決して忘れ去ることなどできないのだ。そう思う自分自身があるのです。
 
神学生の頃、ある教授がこんなことを言っていたのを思い出しました。「傷は癒えても傷跡は残る。その傷跡を見てはいつかは笑えるようになりたい」。
 
その教授も多くの「傷」を抱えていることを、学生である私たちに赤裸々に語ってくださったことを、今でも忘れることがありません。いろいろな思いがフラッシュバックしながらも、その傷をうらみ交じりにではなく、武勇伝を語るのでもなく、そこに静かな、しかし確実な癒しのストーリーがあることを淡々と語れる。そんなことの大切さを学びました。この思いは、今を生きるひとつの大きな考え方に、私自身を促しているのです。
 
さて、今日の聖書の言葉から聴くことのできる神のメッセージ。それは、苦難のなかにあって私たちが逃れることのできる場が確かにある、ということでしょう。私がそう思えなかったとしても、逃れ場を頼り、そこに希望を抱き続けた先人たちが、聖書にその記録としてとどめた。そこに私の思いを向けていきたい。そのように感じさせられました。
 
逃れ場とは主なる神。あなたと共にいるという意味の名前をもって、私たちに約束し続けている神です。この神に自分の苦しみを引っさげて駆け込んでいく。そして、神がなさることに期待して、希望の日々を歩む。そんなことが本当に自分にとって有益なのだろうかと思えたとしても、まずはそこに避難し、神の言葉から慰めを受けて今日という一日を歩みたい。そんなことを改めて黙想させられる、今日の聖書の言葉でした。
 
今日からウィークデイが始まります。その日々が、苦難にあって神からの慰めを受けることによって癒しを受ける。そのことをなんのてらいもなく語れる。そんなときでありますように。お祈りいたします。

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