26/06/2022

2022.6.26 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編71編20節より
あなたは多くの苦しみと災いを
私に思い知らせましたが
再び命を与えてくださいます。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書14章27節
私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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神によって実に多くの祝福を受けたイスラエルの王ダビデ。そのダビデがこう歌いました。
 
あなたは多くの苦しみと災いを
私に思い知らせた
 
この言葉に触れたときに、ダビデはどのような思いをもって、神にそのような告白をしたのだろうかと思わされました。読み方によっては、神が苦しみや災いというものを、ダビデに与え、ダビデに思い知らせたとも読める文章です。となりますと、神は何かを人間に思い知らせるために、苦しみや災いを与えるのかという素朴な疑問がわいてくるのです。
 
私はいつも思うのです。神はいたずらに人間に対して苦しみや災いをもたらす方ではないということをです。もちろん、神には災いや苦しみをもたらすだけの力がありますし、まるで罰が当たるようにそのようなことをするのは、とても容易いことなのだとも思うのです。
 
しかし、何もないところから苦しみや災いが起きるのではなく、あくまで人間がどのような生き方をするかで、蒔いたものを刈り取ることになり、その結果として苦しみや災いというものがつきまとって来るということなのでしょう。
 
私は、11年前に起きた東日本大震災によって、確固たる安全が叫ばれていた福島原発が爆発することによって、多くの放射能被害が起きたことを思い出すのです。この被害はまさに苦しみであり災いでした。しかし、これは神がいたずらに引き起こした罰だったのでしょうか。私はまったくそう思いません。人間の浅はかさ、その罪の結果が苦しみとなり災いとなった。私はそう思えてならないのです。
 
話はダビデに戻って、ダビデも王権を盾にして欲望を満たそうとしたことがありました。その結果彼は苦しんで、その災いを己が身に受けたのです。こうしてダビデは、自分の欲望が神の御心に勝っていたことを自覚しました。
 
しかし、そのようなダビデを神は決して見捨てたりされないというのが、続く言葉によって明らかにされます。
 
あなたは再び命を与えてくださいます
 
苦しみの行く末に、生きる命が与えられる。何という希望だろうかと実感させられます。殺伐とした、裁かれ打ちのめされ、立ち上がれなくなるようなことがあったとしても、神はそのうえでこの私に命を与えてくださるというのです。
 
神とともに歩むことの幸いを痛感したのちの神の助けは、これまで以上に大切にするに違いない。ダビデは実際にそうであったし、私自身も神の助けが本当にありがたいものなのだと胸に刻みつつ、今日の一日を神からの命によって生かされたいと願い、祈ることができました。
 
苦しみにおびえる人生ではなく、イエスが平和を与えることによって芽生える命が、今日もすべての人を根本的なところで生かす礎でありますように。お祈りいたします。

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