07/05/2022

2022.5.7 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編118編25節
どうか主よ、救ってください。
どうか主よ、栄えをもたらしてください。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙13章20~21節より
平和の神が、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約聖書の言葉にある「栄え」について、あらためて栄えとはなんだろうかということを黙想してみたいと思います。
 
詩編にある歌い手の願いは、栄えをもたらしてくださいというものです。私たちは栄えをどのようにとらえているか。栄えとは栄光という言葉で表すこともあれば、繁栄という言葉をもって栄えを表現する場合もあるでしょう。
 
神が栄光に輝くことがこの世の中で明らかにされるならば、世界は繁栄に満たされる。これは聖書が語り続けてきたメッセージに間違いないと私は受け止めています。しかし、同時に思うことは、その繁栄がうわべだけのものとして私たち人間のあいだでとらえられ、神のもたらす繁栄の意味をきちんと理解していなければ、それは繁栄どころか不幸をもたらす結果へとなりかねない、というだと感じずにはいられません。
 
私たちは繁栄の度合いというものを、どのような基準で判断するのでしょうか。あふれんばかりの人数でしょうか。元気な勢いや明るい雰囲気でしょうか。目に見える建物でしょうか。経済的にどれだけ満たされているということでしょうか。
 
確かに、それらは繁栄の度合いをわかりやすく表現するものであるかもしれません。しかし、数的にものの大小だけで繁栄されている/されていないと私たちが判断するのは、やはり危険なのだと私は感じます。人間の歴史は、そういう繁栄に対する判断の仕方で、人と人との間に格差を生み、傲慢が生じ、搾取が正当化され、争いへと発展してきからです。
 
そこに神による祝福、神がもたらす繁栄などあるのだろうか。私たちが「栄え」というものがなんであるかを、神の視点から理解しようとする思いを養い続ける必要がある。私は自分自身のこととして、そのように感じさせられました。
 
神が私たちを繫栄させてくださるならば、その目的は分断ではなく平和です。それぞれに与えられ、互いにそれを尊び合い喜ぶところにこそ、本当の繁栄がある。そのことを握りしめて、今日の一日を歩んでまいりたいと願います。どうか、週の最終日であるこの時に、神の栄光と繁栄ゆえに喜ぶ者となることができますように。お祈りいたします。

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