29/05/2022

2022.5.29 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
列王記上8章27節より
ソロモンの言葉:
天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一4章12節
いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちの内にとどまり、神の愛が私たちの内に全うされているのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
 
今から約3000年前、イスラエルの王ダビデの指揮によるエルサレム神殿建築を引き継いだソロモン王が、いよいよ神殿の完成を迎えたときに、神へ自分の思いを告白します。あなたをこの神殿にお入れすることができません、と。
 
神が住まうにふさわしいと言えるような思いをもって、神殿は建てられたはずです。そのために厳選された建材、金銀宝石、調度品などが数多く用いられました。それは神からいただいた富と宝がいかにすごいものであったかを示すものであったことでしょう。
 
にもかかわらず、ソロモンはそのような神殿に神が住まわれるのだろうかと問います。ここに、ソロモンという人物の謙虚な態度を見ることができます。神殿建設の成果を決して誇ることなく、それよりももっと大切なことをソロモンは知っていました。だから、そのような言葉を告白することができたのでした。
 
その大切なものとは何でしょうか。神殿での礼拝を通して明らかにされる私たちの心です。どんなに素晴らしい神殿で礼拝をしたとしても、私たち自体が神の住まう神殿である、つまり神の御心が私たちの魂に宿り、その御心によって生きるということを第一にしなければ、その神殿礼拝は空しく、無意味なものになってしまうということです。
 
私たちもまた、礼拝するときの心が問われます。どんなに快適で、設備の整った、見た目に美しい会堂で礼拝できたとしても、私たちの心に神の思いや願いというものがしみ入って、今日の新約聖書の言葉にあるように、神の愛、イエスの愛の本質というものが理解され、それが分かち合われることこそが、神殿や会堂というところで礼拝が執り行われる最大にして最高の目的なのだと感じさせられます。
 
今日、それぞれの場で主の日の礼拝がおこなわれます。礼拝におけるすべての出来事を通して、私たちの心に住まわれる神が、私たちの心を神の御心によって整え、変え、祝福を与えてくださいますようにと祈ります。どうぞ素敵な日曜日となりますように!

0 件のコメント:

コメントを投稿