08/04/2022

2022.4.8 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記下12章13節
ダビデはナタンに言った。「私は主に罪を犯しました。」ナタンはダビデに言った。「主もまたあなたの罪を取り除かれる。あなたは死なない。」
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙2章13節より
あなたがたは過ちによって、死んでいた者でした。神は、そのようなあなたがたをキリストと共に生かしてくださいました。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧・新約聖書をつらぬくテーマは「罪・過ち」であると私は受け止めました。そもそも罪とはなんなのか。そんなことを改めて黙想してみたいと思います。
 
聖書の言う罪とは、神に背を向け、神の視線と私の視線が合っていない状態のことを指すわけですが、具体的には、神を必要としない態度のことを指しています。自分が神となって、自分の願望をしたいがままに果たそうする態度。これが具体的な罪の行動へと私たちを誘導します。
 
神から存分の祝福を受けたダビデ王は、バト・シェバという美しい女性を手中に収めるために、彼女の夫であるウリヤを戦場の最前線へ送りました。その結果、ウリヤは戦死して未亡人となったバト・シェバをダビデは自分の妻としました。願望は犠牲を生んだ、典型的なエピソードです。
 
しかし、ダビデは、神によって遣わされた預言者ナタンを通して、後になって自分のしたことの身勝手さを思い知ります。バト・シェバとの間に生まれた初子は程なくして亡くなります。神の視線を無視して、意のままに事を動かそうをしたダビデは、その罪を認め、神と視線を合わせて生きることを誓いました。
 
大切なのは、悔い改めのあるところには、神の赦しがあるということです。人生、いくらでもやり直しが利くのだということを、この物語は私たちに伝えています。現に、バト・シェバとの間に生まれた二番目の子どもは、後にダビデの後継となるソロモン王でした。神は、このソロモン王を大いに祝しました。
 
この神の赦しが、今の私たちにとっては救い主イエス・キリストによって与えられる。罪に死んでいた私たちが、キリストによって復活し、生かされ、やり直しの人生を歩むことが大いに許されている。今日の新約聖書の言葉が指し示すメッセージです。
 
この世の中は、勝ち組・負け組と区分けされて、失敗者の烙印を押され、二度と立ち上がれないように潰すことを平気でおこなう風潮があります。しかし、それで良いのか。罪の赦しを知る者として、そのような希望のない社会が存在するならば、その社会に抗う生き方をしたい。神は人を殺す方ではなく生かす方なのだと。
 
願望あるところには犠牲がともなう世界に、神の赦しによる希望と平安が豊かにありますように祈ります。多くの命が犠牲とされている地域のために。私たちの人間関係のために。そして、私の今日与えられた一日の命と生活のために。

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