04/04/2022

2022.4.4 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編23編2~3節より
主は私を緑の野に伏させ
憩いの汀に伴われる。
主は私の魂を生き返らせる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書10章27~28節
私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。私は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、また、彼らを私の手から奪う者はいない。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日、私たちのために選ばれた旧約聖書の言葉は「主は私の羊飼い」の出だしから始まる、詩編23編の言葉です。その2節には「憩いの汀(みぎわ)」とありますが、この表現は明治の時代から慣れ親しんだものでした。『聖書 新共同訳』では別な翻訳となりましたが、30年のときを経て、再び「憩いの汀」に翻訳されました。
 
憩いの汀。私たちは水辺に行くと憩いたくなるような思いにさせられるのだと思います。浜辺、湖畔、川辺などなど、水の存在というものがいかに私たちにとって大切なものかを思わせられます。水資源の豊富な日本がそうであるならば、この詩編が歌われたイスラエル、つまり水が決して豊富であるとは言えない環境で、憩いの汀と言ったら、本当に命を支えるものであることを思い起こしました。
 
その憩いの汀に、主なる神は私たちを招き、緑の野に伏させつつ招かれるというのですから、羊にたとえられた私たちに、神は安らぎを与え、憩うことによって生み出される回復を与えてくださる。そういう神に生かされているというイメージが、信仰の味わいなのだと改めて黙想させられます。
 
ただ、羊が羊飼いに導かれることによってその命を得ることができるように、私たち一人ひとりに対して、神が願っておられること、期待しておられることがある。そのことを、私たちは今日の聖書の言葉から聴いてまいりたいと思いました。
 
今日の新約聖書の言葉は「私は良い羊飼いである」と、イエスが自分自身のことをそう言いつつ、羊をどんな外敵からも守られることを公言された話のなかで語られた一節です。ここで、羊は羊飼いの声を聴き分けて、理解して(知って)、従うことが、イエスによって語られています。
 
これが、まさに聖書を通して語られる神の御声を聴き分けること(識別すること)、理解すること(自己吟味すること)、従うこと(イエスの生き方を自分の生き方とすること)そのものなのだと受け止めました。このことがあるからこそ、信仰者の生き方というものが、緑の野でくつろぎ、憩いの汀で安らぎを受けることができるのだと。
 
今日も私たちに与えられた神の言葉によって、ときには憩い、そして活力を実感できるような一日でありたいと願います。皆さんの一日もまた、憩いの汀に伴われる神の平安と助けが豊かにありますように。お祈りいたします。

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