18/04/2022

2022.4.18 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
列王記上8章29節より
夜も昼も、この神殿に目を向けていてください。ここは、あなたが、『そこに私の名を置く』と仰せになった所です。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書20章19節より
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約聖書の言葉は、イスラエルの都エルサレムにいよいよ神殿が建築されたときに、ソロモン王が神にささげた祈りの言葉です。長年の偉業が成し遂げられたとき、ソロモン王は何を思って神に祈りをささげたのか。そのあたりを黙想してみたいと思いました。
 
ソロモン王は、今日の聖書の言葉に先立って、このようなことを神に告白しています。
 
神は果たして地上に住まわれるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。(8章27節)
 
ここに、ソロモン王の謙遜を見ることができます。誰もが見とれる神殿を建築したのですから、それは偉業と言っても間違いありません。しかし、ソロモン王は「そのような神殿に、本当に神がお住まいになられるだろうか」と案じます。
 
ここで、ソロモン王の謙遜のひと言があります。「天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです」と、ソロモンは心のうちを告白しました。どういうことでしょうか。
 
これは、私たちの傲慢が神を引き寄せ、自分の願望通りに押し込めるような態度であると私は受け止めました。この場合は、私の建築した素晴らしい神殿にこそ、神は入って当然だというような姿勢です。しかし、ソロモン王はそのような態度には走りませんでした。
 
ソロモン王は、ただひとつ神に願います。「私は神であり、あなたがたと共にいて、あなたの神となる」というお名前こそ、この神殿を支配されますように。ただあなただけが、この神殿の中心でありますようにという願いです。決して私が傲慢にならないように、絶えることなく、視線と御心を注いでくださいという、ソロモンの謙遜にもとづく祈りがささげられました。
 
どうしてソロモンはそのような謙遜を示したのでしょうか。私はこう思うのです。ソロモンは、自分自身がいつ傲慢になってもおかしくない存在であることを重々理解していたからのではないかと。
 
私たちにとって、傲慢が露わにされる要素はいくらでもあります。そのうちのひとつは不安です。不安を解消したい、そこから脱却したいと願うばかり、我流で物事を解決しようとすることが、私なんかもいくらでもあることを思い起こされます。
 
そういうときには、私の心に神はいなくなる。だからこそ、神のお名前の示すところを私は必要とするし、視線と御心を注いでほしいと願いたいのです。
 
復活の主イエスが、迫害者を恐れるあまり、玄関の扉にかんぬきをして潜んでいた弟子たちの真ん中に立たれて「平和があるように」と告げられた、あのイースターの夕方の出来事は、そのような人間の不安からくる傲慢さをすら打ち破る、私たちの救い主がともにおられるということを明らかにしている。これが、今日の新約聖書が示すメッセージであると私は受け止めました。
 
復活信仰に生きるとはどういうことか。イースター2日目の朝を迎えました。私たちの不安が傲慢を育てませんように。私たちを守られる主なる神が、今日も私たち一人ひとりを喜びへと養い、育ててくださいますように。心よりお祈りいたします。

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