11/04/2022

2022.4.11 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編31編25節
勇ましくあれ、心を強くせよ
主を待ち望む人は皆。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙5章2節
このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約聖書・詩編31編25節は、長く「雄々しくあれ、心を強くせよ」として覚え続けてきた言葉ですが、聖書協会共同訳では「勇ましくあれ」と訳されるようになりました。雄々しいも勇ましいも意味としては一緒なのですが、「雄(おす)」という言葉を使うことによって「男らしい」という意味合いがあるため、あえて「勇ましく」とするあたりは、新しい聖書がジェンダー意識にも配慮されたものなのだということを改めて思わされますし、好意をもって受け入れることができます。
 
そのことを踏まえて今日の聖書の言葉を見ますと、主なる神のなさることに希望を抱く者は皆、勇気を持ちなさい、心を強くしなさいという、ダビデ王の賛美に歌われた勧めであることがわかります。
 
しかし、私自身がそうなのかもしれませんが、勇気を持ったり、心を奮起しながら歩むというのは、そう簡単にできることではないだろうと、ついつい思ってしまうのです。勇気を抱くには、それなりの根拠であるとか、そのときのコンディションだとか、そういうものをどうしても必要とするではないか。そんなことを考えるのが、人間のごくごく自然であり、正直な感想なのではないかと思わされます。
 
それこそ、そのような人間の弱さというものをどうしても考えてしまうときに、では、神はそんな私たちをどのように扱ってくださるのかが、今日の聖書の言葉の肝であるような気がしてなりません。ここで一つのイメージを抱きたいと思いました。神は弱い私たちを強制的な軍事訓練のようなものを通して強くするのではない、というイメージです。
 
私たちの心を強くするのは、私たちの生身からではなく、キリストの強さが私たちにともなってくださるからである。それが、今日の新約聖書の言葉が伝えようとしているメッセージなのではないか。私はそのように受け止めました。
 
私たちはすぐにキリストの力というものを、心に、思いに、行動に働かせることは難しいこともあるでしょう。私の本来持っているものが、それを拒み、強くされることに信頼できないこともあるでしょう。それでも、キリストは私たちのためにいつもスタンバイしてくださる。ご自分の力を必要なときに、必要なだけ、ご自分の御心をもって私たちに分け与えてくださるのだと。
 
それが「神の栄光にあずかる希望」という言葉で表現され、結果として待ち望むという思いへと導かれることなのでしょう。決して勇ましいとは言えず、心の弱い私に、今日もキリストが生きて働いてくださる。そんなことを胸にして、歩んでまいりたいと願いました。
 
どうぞ一日が、そのようなキリストの力と助けが、ともに豊かにありますように。お祈りいたします。

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