06/03/2022

2022.3.6 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ハバクク書2章20節
主はその聖なる神殿におられる。
全地よ、主の前に沈黙せよ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書2章2節
博士たちは言った:「私たちはその方を拝みに来たのです。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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今日、世界中のいたる教会や集会で、礼拝の機会が開かれます。この場合の教会や集会とは、そのような建物でおこなわれる催しのみならず、神による礼拝の呼びかけに答え応じる者すべてのことを指します。
 
私たちは全世界的な「キリストのからだ」のなかに組み込まれているという、基本的な教会(原語でエクレーシア)の姿を、聖書から聴くことができます。
 
キリストのからだという考え方があるからこそ、私たちは自分たちのため、自分たちの教会のため、知っている範囲のことだけのために、祈りをささげるのではないことを知ります。
 
世界中で起きていること、たとえ私たちに直接的に関係ないことであっても、神が世界を統治しておられる方であることを、私たちは信じます。そして、神が人間の心を動かして、すべてを平和へと導いてくださることを願い、祈りをおささげすることができるのです。
 
しかし、世界を平和へ導いてくださる方がおられると言っても、世の中からいさかいや争い、それらによる犠牲はとどまるところを知りません。なぜでしょうか。どんなに神がそのことを願い、働きかけたとしても、人間の心が頑固だからです。
 
神は、カチカチに凝り固まった私たちの心を、時間と忍耐をかけて、解きほぐすために働いてくださっていますが、私たちは、そのような神の思いを本当に理解しているのだろうかと言えば、私のことに関して申し上げれば、はなはだ怪しいとしか言いようがありません。私は、実に頑固な者です。
 
人間がそういう者だからこそ、神は礼拝の機会を与えてくださいました。そのことが、今日の聖書の言葉に表れているのだと、私は黙想を通して受け取ることができました。主なる神の御前に沈黙すること。自己主張はさておいて、神の語りかけに、耳と心を傾けることに、私たちは礼拝を通して、沈黙の目的を知らされます。
 
神の言葉も解釈は千差万別。人はそう言いますし、事実でしょう。しかし、神が伝えようとしているメッセージはただひとつです。解釈の多様性とは、あくまで神が語ろうとしているメッセージの唯一性というものを破棄し、歪曲することのない多様性です。
 
しかし、私たちは神の語るメッセージの唯一性を探ることに苦労します。自分自身の思いが必ずと言って良いほど邪魔をします。目に見える強い言葉に振り回されます。そして、多様性という言葉を重んじているように見えて、混乱を生むきっかけを必死になってつくろうとします。結局のところ、神の語るメッセージが、いつしか脇に追いやられている現状があるのです。
 
だからこそ、沈黙という行動が、見た目には非生産的に見えたとしても、実はものすごい大切なことなのだということを知らされます。この沈黙という行為が私たちを謙遜な者に導きます。謙遜な者であるゆえに、自分自身の心に向き合って、神の声に聴いてみよう。そのために礼拝へ向かおうという思いが与えられるのだと。
 
今日の世界中でおこなわれる礼拝が、そのような良き沈黙の場でありますように。そして、沈黙から、私たちの新しい一週間。神の語るメッセージに支えられた、実に豊かな日々となりますように。心からお祈りいたします。

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