31/03/2022

2022.3.31 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
アモス書4章11節
あなたがたは炎の中から取り出された
燃えさしのようになった。
それでも、あなたがたは私のもとに帰らなかった
――主の仰せ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙二2章13節
私たちが真実でなくても
この方は常に真実であられる。
この方にはご自身を
否むことはできないからである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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それでも、あなたがたは私のもとに帰らなかった/主の仰せ。
 
本日の旧約聖書であるアモス書4章には、預言者アモスによってイスラエルの民に語られた神の、非常に痛烈な言葉が収められています。いくら神が人間にアプローチをしても、「それでも、あなたがたは私のもとに帰らなかった」と。
 
この神の言葉を、どのように私の心に収めることができるだろうか。それが、本日私に与えられた黙想です。
 
そもそも、私が神のもとに帰るという感覚があるのだろうか。そのように思ったのです。なぜならば、自分は神の側に属しているという意識が、当たり前のように私のなかにあるからです。しかし、その自意識が「本当にそうなのか?」と自問することで、実は神のもとに帰られなければならないほど、自分自身が神から遠く離れていることに気づけるかもしれない。そう感じたのです。
 
預言者アモスの時代のイスラエル国民が、まさにその状態でした。自分たちが神から気持ちが離れているなんて露だに思わなかったことが、聖書を通してわかります。このことを通して知りたいのは、私自身の自意識などというものは、いつも、すべて正しいなんていうことば絶対ない、ということです。ゆがみまくった自意識を抱えながら、私はこの世で生きているということなのでしょう。
 
だからこそ、私は神の助けを必要とするのだ。私がたとえ真実から遠かったとしても、帰ってきなさいと、真実をもって手招きをしてくださる方がおられる神がおられるのだと。その方の前では、私のすべてが明らかにされることで、私は神に守られるのだと。そのように感じたのです。
 
炎のなかから取り出された燃えさしのように、なにかをくすぶらせながら生きる私。そんな私でも、神は私を招いてくださる。私は神の招きによって、深沢教会で過ごした7年間の務めを終えようとしています。まさに炎のなかから取り出された燃えさしのような存在なのかもしれません。
 
しかし、神は私を招き続けてくださることに、心からの感謝を神にささげたいと思いますし、そうやって神は、歴史を通じて私たちを招き続けてくださることを思うと、深い感動に包まれていく。そんな気持ちでいっぱいです。
 
愛してやまない教会が、この世界に住むひとりひとりが、そして私もが、そのような神から今日も招かれ、守られ、遣わされていく。そのことに希望をもって、今日の一日を歩んでまいりたいと願います。どうぞ、皆さんにとっても素敵な一日でありますように。お祈りいたします。

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