09/02/2022

2022.2.9 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書9章10節より
この方の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで至る。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙2章9~10節より
神はキリストに
あらゆる名にまさる名を
お与えになりました。
それは、イエスの御名によって
天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが
膝をかがめるためです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
******
 
全世界のあらゆる名にまさる名である、イエス・キリストのお名前とは、いったいどんなお名前なのだろうか。今日はそのあたりを黙想してみたいと思いました。
 
本日の新約聖書の言葉に先立って、この手紙を書いたパウロは、フィリピの教会の信徒たちに、イエスのお名前があらゆる名にまさることを、このようにつづりました。
 
キリストは
神の形でありながら
神と等しくあることに固執しようとは思わず
かえって自分を無にして
僕の形をとり
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ
へりくだって、死に至るまで
それも十字架の死に至るまで
従順でした。
フィリピの信徒への手紙2章6~8節
(聖書協会共同訳)
 
この態度と行動こそが、イエスの名を何よりもまさる名とした。パウロは「謙遜」こそが人と人とのあいだにあることを願いつつ、謙遜であることの最大の模範として、イエス・キリストのお名前に言及しました。
 
謙遜とはなんだろうか。パウロはこのように具体的な勧めをします。
 
何事も利己心や虚栄心からするのではなく
へりくだって
互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい
めいめい
自分のことだけではなく
他人のことにも注意を払いなさい。
フィリピの信徒への手紙2章3~4節
(聖書協会共同訳)
 
ポイントは「何事も利己心や虚栄心からするのではなく」であると、私はとらえました。
 
利己心とは「他人より自分の利益を優先して顧慮する心。 自分の利害関係を物事を図ろうとするあり方。 利己的な心がけ」であり、虚栄心とは「うわべだけを飾ろうとする心。 自分を実質以上によく見せようとする心」のことです。
 
つまり、利己心も虚栄心も、自分の心の動機を問う言葉なのだと。見た目だけの言動だけでは、謙遜であるかどうかを計ることはできないのだと。私はそのように感じさせられました。
 
大切なのは、イエスがこの世界に対して示された謙遜の真意と本質を、私がいかに自分の生き方とすることができるかということなのだと。私はそのような生き方をしているだろうかと黙想するときに、イエスという模範に聴従したい。聖書の言葉からそのことを探りつつ、今日も生きていきたい。それが今日の黙想でした。
 
イエスの謙遜にならう私たちが生きる世界には、神の喜びに満ちたご支配がある。今日もそのような一日でありますように。お祈りいたします。

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