27/02/2022

2022.2.27 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編27編14節
主を待ち望め。
勇ましくあれ、心を強くせよ。
主を待ち望め。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二1章7節
パウロは書きます:私たちがあなたがたについて抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、私たちは知っているからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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苦しい時にこそ、真価は発揮される。
 
こんな言葉を聞いたことがあります。今日の聖書の言葉に触れたとき、私たちの信仰について考えさせられる、そんな言葉であると、つくづく思わされました。今日は、そのあたりの黙想を深めてみたいと思いました。
 
今日の新約聖書の言葉は、使徒パウロによるものです。パウロはギリシャの大都市コリントにいるクリスチャンに向けて、この手紙を書いたときに、自分自身の宣教が、決して順調でなかったことに触れています。ところどころで、迫害があり、命の危険があり、そのような困難のなかで、パウロは宣教活動を進めていました。
 
パウロは、そのような苦しみのなかで、あえて希望を語ります。消極的な空気がどんよりと人々の環境を襲い、それによって気落ちしてしまうような人々の思いが支配しようとしても、そこには希望がある。希望があると、パウロは語り続けます。
 
そこに、パウロが真価を発揮するスペースがありました。発揮すると言っても、それはパウロの力によるものではありません。神が慰め、そして自分の苦しみをともに担ってくださるいます。そのことを共に分かち合う、目に見える大切な仲間がいました。
 
私は黙想します。教会というところは、神を信じることの難しさを経験し、感じるときに、神が慰め、励まし、希望のラインに立たせてくださるために、集められた一人ひとりと、そのことを分かち合い、確認するために与えられた共同体なのだと。
 
では、私たちはどれだけ、教会というところにそのような希望を託しているだろうかと。教会の姿を見ては、失望し、つまづき、希望を感じられないような思いにさせられることは、決して少なくないと私は実感しています。しかし、それで良いのでしょうか。
 
良いはずがありません。そういうときにこそ、私たちは何によって生きるのかという問いが問われているのだと。パウロがそうであったように、どこに希望を見出して生きるかで、私たちはその本質によって、豊かに生かされるはずなのだと。
 
新しい一週間の始まりに、そういう思いをもってスタートを切ることができれば、神様はなんとかしてくださるのだと、そのような希望に生きる者でありたいと願わされました。私たちの心を強く、勇気を持たせてくださる神を待ち望むところにこそ、希望があふれることを信じつつ、皆さんもそのようでありますように。お祈りいたします。
 

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