11/02/2022

2022.2.11 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨシュア記23章11節
ひたすら魂を尽くして、あなたがたの神、主を愛しなさい。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書14章23節
イエスは答えて言われた。「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
******
 
神を愛して生きるとは何か。今日の聖書の言葉から、そんなことを黙想してみたいと思いました。
 
神を愛するということは、そもそも日本文化にはないものであるかもしれません。神は崇め奉る(あがめたてまつる)対象であり、人間生活の幸福を願う対象、神の怒りを鎮めることによって、災いから遠ざけてもらうように願う対象などなど、崇高なイメージを神に抱く。これは、聖書に描かれる神も同じです。
 
しかし、今日の聖書にもあるように、「神を愛する」という視点は、聖書を用いる人々が知る独特の観念であると言えるでしょう。愛するとは大切にすることと、昔日本に神の愛を伝えた宣教師は言いました。神がおられるということを、私たちの生活のなかで大切にし続けることが、神を愛することに相通じるのだと。
 
神を愛するからこそ、神をあがめることができる。神に願う内容も、私主体ではなく、神主体とした願い、つまり、私自身の願望に終始執着するのではなく、最終的には神が人間に対して願っておられることが、そのままなりますようにという祈りへと発展させられるのだと。イエスが「神の御心が天でおこなわれるように、地上でもおこなわれますように」と祈った、あの主の祈りの言葉に相通じるのだと。そんなことを思わされます。
 
魂を尽くしてと、今日の聖書の言葉にはあります。魂を尽くすことは、私たちの全人生を尽くしてという意味に通じます。私自身に与えられた人生、その生活、心も思いも身体もすべて、神の御心がなりますようにという祈りにもとづいて、私もまた生きていくことが期待されているのだと。
 
イエスは言いました。私を愛する者は私の言葉を守るのだと。つまり、神を愛する者は神の言葉・聖書の言葉を大切にすることなのだと。守るというのは文字面の規則をただ守るということではなく、言葉に示された神の真実と本質を大切に守ることなのだと。
 
神が私に期待していることとは何かと、黙想する一日でありたいと願わされました。そのときに、聖書の言葉から神が発する御声を真摯に、謙遜に聴き取ることこそ、今の私にますます求められていることなのだと確信して、神に祈りをおささげしました。
 
このような朝を迎えられたことに感謝しつつ、皆さんの一日に神の愛が十分に満ちあふれたものとなりますように。心からお祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿