イザヤ書31章1節より
災いあれ、
災いあれ、
馬を頼みとする者よ。
多くの戦車を頼りとする者よ。
彼らは、イスラエルの聖なる方に目を向けず
主を求めようともしない。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙2章1節だから、私たちは押し流されないように、聞いたことにいっそう注意を払わなければなりません。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
今日の旧約聖書には「馬に頼るな、戦車に頼るな」という言葉が記されています。それは武力であり、強さの象徴です。なぜ頼るなと言われているのでしょうか。武力に頼ることによって、主なる神に目を向けることなく、求め、頼ることがなくなってしまうからだと、聖書の言葉は続けて語ります。
つまり、神がご自分の言葉によって指し示しておられる御心に沿うものでなければ、どんなに大きく、強そうに見えても、それは、私たち人間にとって、破滅に至る災いであるというのです。
では、私たちにとっての「馬や戦車」とは、いったい何なのでしょうか。そのことと対応して、本日の新約聖書で語られている言葉に注目したいと思います。
私たちは「押し流されないように」聞いたこと、つまり、神の御言葉に一層の注意を払うようにと勧められています。この「押し流されないように」という言葉は、別の聖書では「目的を逸脱することのないように」とも訳されています。
目的、それは神が私たちにご自分の御心を示されることによって、明らかにされる全世界への目的です。この目的を逸脱するというのは、神の御心を逸脱するということです。つまり、神に目を留めることなく、神の語る声に耳と心を傾けることなく、自分の欲望に従って突き進んでいくことで、私たちは歩むべき道からそれてしまい、その結果、押し流されてしまうというのです。
つまり、「馬や戦車」とは、自分自身の感覚や経験だけに頼ることで、己を神として歩むことの象徴として語られているのです。
ですから、私たちは神から聞く御声に、じっくりと耳と心を傾けて、その意味するところ、指し示すところを見つめるために、聖書の言葉に表された本質を求め、神の御声を自分の欲望とせず、ただ謙遜に祈り続けていくことを求めていきたいと願います。
一週間の始まりであるこの一日が、神のなさることへの深い信頼を味わい知ることのできる時となりますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿